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ズボンの女性  A

 


 週末はマラウィの新聞も週末版になり、平日よりも芸能欄などが多くなっている。“Which is which”というコーナーがWeekend Nation(Nationの週末版)に設けられている。ここでは論議がある話題について、読者の意見を求めている。

  「女生徒(girl students)がミニスカートやズボンを学校ではくのは許されるか?」という設問に意見が寄せられている週があった。

  girl studentsは女学生と訳すべきかもしれないが、話題になっている内容は、小学校、中・高等学校までの生徒で、大学の学生は含まれていない。

  6人が意見を寄せていて、全員が反対であった。理由は、一言で言えば、むやみに挑発的である、ということだ。「男子生徒、教師、の心を乱し、合意、非合意に関わらずさまざまな事件の原因となる」(「 」内は筆者の表現で、新聞ではもうすこし直裁)と、投稿氏は述べている。

  公立、私立のそれぞれの学校が、各自の校則を持っているが、ここでは一般的に女生徒としてふさわしい服装であるかどうかが問われている。

  まず、設問でミニスカートとズボンが同一に取り扱われている事が、筆者には目新しい。この2つはまったく別の範疇の着衣で、どうして一緒に話題にできるの、筆者は戸惑う。しかし、新聞の設問にも、それに応える投稿氏にも、筆者のような戸惑いはない。両方とも同じくセクシーな着衣として考えられている。

  水鳥が攻撃してきた猛禽類を認めて逃げる場合、魚が縄張りに入ってきた同種のオスを認めて戦う場合、それぞれ相手のどんな特徴がキーになるのか、実験することができる。つまり、形を単純化したり、色を変えたりして、どの要素がこれらの行動を起こさせるのか試すのである。

  人間の場合でも、もし、久米の仙人がたくさんいれば、彼が雲から落ちるにはどんな条件が必要か試す事ができる。彼が見た脛が黒かったら、それが年配女性であったら、脛ではなくくるぶしだったら、とやってみるわけだ。

  人間の場合は、もちろん、簡単には実験できない。想像力をたくましくして、ミニスカートとズボンの共通点を、マラウィの人がどう感じているか、つかまなくてはならない。きっと、脚が、あるいは脚の形がはっきり見えるのがポイントなのだろう。

  どの投稿氏も、女生徒と男生徒との関係だけでなく、それと同じ頻度で教師との関係にも触れていたことも、筆者には興味深い。実は、教師―女生徒の事件は、けっこうあるようだ。ムルジ大統領もこの手の問題に注意を促す声明を最近出した。また、マラウィの流行歌にも、「校長先生と女生徒が云々」の内容のものがある。学校では、教師のほうが年配で権力がある構造になっていることから、女生徒が被害者となる事件が起こりやすい。いわばアカデミック・ハラスメントの中学校版だ。

  6人の投稿氏の名前を見て、全員、男だと気づいた。日本の女子高校生のミニスカートは、誰が短くしようとしているのだろう。男の側からとくに働きかけているようには聞かない。女子高校生自身が、自ら短くしている。スカートが短いほうが、1)活動的、2)かっこいい、つまり男子生徒の目もひく、と思って、校則を変えたり、時には破ったりして短いスカートを求めている。これを見て、年配男性が、3)挑発的すぎるのでいかん、と思っているのかもしれない。つまり、1)〜2)を意識している人と、3)まで意識している人がいて、1)〜2)は女子高校生、3)は男なのだろう。と、筆者は考えるが、じつは女生徒はその上を行っている可能性もあって、さっぱり油断できない。

   “Which is which”の来週の話題は、親がエイズで亡くなった子供に、親の死亡の原因を告知すべきかどうか、である。