タンザニアの知人がこんな話しをしてくれた。彼は、ある時、ちょっとした集まりで「私はサルよりもバナナが好きです。」と発言して参加者に自分をアピールしたという。

   参加者はこの発言をどんな意味で聞いたのだろうか。

  1)「私はバナナが好きです。サルもバナナを食べるのが好きです。しかし、私がバナナを好きな程度は、サルがバナナを好きな程度よりも、ずっと大きいのです」という意味であったろう。参加者は、「この人はバナナを、サルが食べるよりもたくさん食べて、タンザニアで元気に生活するのだろう」と印象付けられたのかもしれない。

   私は、はじめは次のような意味だと思った。

  2)「私は食べ物として、バナナもサルの肉も両方食べます。しかし、サルの肉のほうがバナナよりも好きです。」「なるほど、この意味ならば、参加者に充分に印象を持ってもらうことができる」と、納得していたのである。



   日本語であれば、私は1)と2)はいずれも正しいと思う。「サルとバナナ」に「弟とラーメン」を入れると、まさか弟を食べる人はいないので、1)の意味が強まる。「牛丼とチャーハン」を入れると、牛丼がチャーハンを食べる事はないので、2)の意味が強まる。これはそれぞれの単語が連想させる意味に影響されているだけで、「サル」のように食肉としても主体としても連想されるような単語の場合は、1)2)のいずれの意味も可能であろう。

   実は、この発言は英語でされた。「I like bananas more than a monkey.」と言った時に1)と2)のいずれが英語では正しい意味なのだろうか。私には不明だが、2)のほうが素直に感じられる。






ネズミを売る少年たち



   マラウィ中部には比較的開けた土地が広がっている。このあたりでは道路際で少年たちがネズミを食肉用にクシに刺して売っている。ネズミと言っても、日本のドブネズミではなく、畑に出没して穀物を食べるネズミであり、しっかりした食肉である。

  ネズミと聞くと顔をしかめる人もいるかもしれないが、「生の魚をたべる日本食」「ヘビも食べる(といわれている)中国食」「カタツムリを食べるフランス食」を思い出して欲しい。

   こんな土地では次のような応用例を作る事ができる。「私はネズミよりもトウモロコシが好きだ。」この場合のネズミは食肉としても、トウモロコシを食べる主体としても考える事ができる。

   食べないものはないと思われる中国でも、淡水産のカニは食べないところもあるようだ。湖には一般の死体や、戦争での死体が流される。屍肉をカニが食べるので、敬遠されるのだ。

  ここでは、こんな文を考える事ができる。「私はカニよりもヒトが好きだ。」この文では、ヒトはいずれにしても食べられる対象になっている(もちろん、現在の中国で食人をしていると言う意味ではありません)。1)私はヒトの肉を好むが、その程度はカニがヒトの肉を好む以上だ。2)私は、食べ物としては、カニの肉よりもヒトの肉のほうが好きだ。との意味が含まれる。


   どちらにしても、ぞっとする作文になってしまった。


   さいわいマラウィの貴重な財産であるマラウィ湖ではこのような連想は働かない。美しい湖で、一部をのぞけばビルハルツ住血吸虫の心配もなく泳いで楽しむ事ができるようだ。住血吸虫の生活を夢想すると、またぞっとする人もいよう。湖を見るときは、あまり食物や寄生虫の心配をせずに、ボーっとしているのが正しいようだ。

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「サルよりバナナが好き」