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マラウィ案内 都市 3  ブランタイヤ

  ブランタイヤは隣接するリンベ地域とあわせて48万人の人口(1998年)があり、首都のリロングウェの44万人より多い。

  首都のリロングウェは、マラウィ国の中心部に位置し、1975年から首都となっている。これに対して、ブランタイヤは、南部のザンベジ川へ注ぐシーレ川をさかのぼって、マラウィ湖に至る交通路に近く、19世紀からは交通の要路であった。ただし、シーレ川には、急流、滝があり、動力船でそのままさかのぼる事はできない。1975年までの首都、ゾンバは、ブランタイヤの北東70キロメートルに位置し、ここも、シーレ川、マラウィ湖などへのアクセスから、19世紀から植民地行政とミッションの拠点となっていった。

つまり、マラウィとしては、南部にこれらの中心があり、それが、現在でも北部地域の発展がやや遅れていることにもつながっている。

  マラウィ内で、植民地時代からの建物、教会を見る事ができる場所も、ブランタイヤ、ゾンバを中心とした南部に多い。


   マラウィで一番古くからの建物とされるのが、マンダラ・ハウスである。マンダラさんのことはムズズの項で紹介した。マンダラ・ハウスは1882年に建造された2階建ての建物で、周囲にベランダをめぐらせている。

  建築当初は草葺きであったが、すぐにトタン屋根に改められた。



  マンダラさんとその兄は多くの事業を起こしたが、その一つがマンダラ・モータースとなり、日産自動車の代理店になっている。ブランタイヤ中心部のマンダラ・モータースには、部品を運送してきたのであろうか、大型のトラックが頻繁に出入りしている。このマンダラ・モータースの横に入ると、突然、静かになり、整えられた芝生を前にしてマンダラ・ハウスが建っている。現在でもマンダラ系列の事務所に使用されており、人影もあり、きれいに管理されているのは嬉しい。








  マラウィで二番目に古いとされる建物もブランタイヤにある。同じ教会の他の写真

  これはSt. Michael and All Angeles Churchで、その前身は1982年、マンダラ・ハウスと同じ年に建造された。しかし、耐久性に難点があったので、その後3年以内に建てなおし、現在の教会が残っている。


この教会の周辺には、教会関係の記念塔、学校などが芝生の中に配置され、宗教エリヤになっている。ブランタイヤの中心地にあって、もっとも整備されている地区になっていることは間違いない。今でも人々をひきつけているので、建て直した意味は十分にあった。


  ブランタイヤは古いものがあるだけではない。ブランタイヤ東部のリンベ地区は、工業地帯である。マラウィ産の加工食品をスーパーマーケットで見ると、リンベで作られているものが多い事に気づく。

  ブランタイヤのリンベ地区にはタバコの葉のオークション会場がある。タバコはマラウィの輸出額の一位を占める大事な産物だ。11月の雨季の始まりとともに畑に植え、1〜2月に収穫し、後処理を経て、4月にはオークションが始まる。時機になると、煙草の葉を詰めた四角い頭陀袋をのせたトラックがブランタイヤへ向かっていくのが見える(タバコの栽培、運搬などはここで紹介しています)。



  その絶対数は少なく、近隣の国との比較でも少数ではあるが、マラウィにも白人入植者の農場がある。多くは、ブランタイヤ、ゾンバ、の周辺、あるいはブランタイヤのさらに南に位置している。彼らは早くも1900〜1910年の間に入植したものもいる。現在、実際に農場経営をしている世代はマラウィ生まれで、マラウィ国籍をもっている。植民地の関係で、イギリス出身者が多いが、ギリシャ、パレスチナ、イタリアを出身地とする人もいる。




  ごく最近になってアフリカと広く付き合うようになった日本人としては、すでに入植して何世代もたつヨーロッパ、西アジア出身者を「なぜ、ここにいるんだ」と見てしまう。しかし、そうではなく、本来はあらゆる機会に人々は移動し、拡散する。なにかの要因があったときに特別な集中や移動しない状態ができていく、と考えたほうがいいのかもしれない。


  ブランタイヤの産業で付け加えれば、ビール醸造がある。マラウィにはカールズバーグが入って醸造しているのが、唯一の工場製ビールである。東・南部アフリカでマラウィだけにデンマークのビール会社が入り、またそこでは他の会社は醸造していないのが興味深い。カールズバーグの工場では、醸造タンクと白衣の技術者が、ガラス越しに見える。工場前を運転して、それを眺めるとわくわくするような仕掛けになっている。


   ブランタイヤの名前は、著名な宣教師、探検家であるリビングストンが生まれたスコットランドの町の名前から取られている。筆者は手許のアトラスでスコットランドのブランタイヤを探したが、見つける事ができなかった。現在のスコットランドのブランタヤと、マラウィのブランタイヤで、何か連想や因縁を結ぶ事があれば、また別項で紹介しよう。


  植民地時代の西欧起源の都市名をそのまま残しているのは、このあたりでは、珍しいほうだ。他の都市は、ヨーロッパの名前ではない。ダル・エス・サラーム(タンザニア、平安の港――アラビア語)、ナイロビ(冷たい水――マサイ語)、ルサカ(ザンビア、土地の首長の名)、などだ。西欧起源の都市名が多く残っているのは、南アフリカだ。ヨハネスブルグ、プレトリア、イーストロンドン、などである。

  現在では、スコットランドのブランタイヤより、マラウィのブランタイヤの方が、ずっと有名であろう。しかし、一国の最大の都市として、人口50万人弱は、小さい。一方では、ナイジェリアのラゴス圏のように1000万以上の人口が集中するところもアフリカには有り、都市的様相がアフリカの生活の大部分を占めていると主張している人もあるくらいだ。


  この、都市の小ささは、マラウィ国全体の性格に関係していると思う。つまり、あまりの過当競争ではなく、それなりに協調して人々が生活している心地よさだ。この印象は、筆者の独りよがりではなく、マラウィを訪問した多くの人が共有しているようなので、心強い。