マラウィ案内 都市 4 リロングウェ
| リロングウェはマラウィの首都で、人口はブランタイヤに迫る44万人である。マラウィ中部に位置し、リロングウェ川とリンガジ川を挟んで発達している。 南部が旧市街地で、バスターミナル、庶民的な宿泊所、アジア系の商店主の店などがある。旧市街から数キロメートルの雑木林を挟んで、北部にcapital cityと称される官庁街がある。 Capital Cityは名称が二通りに表記されており、戸惑う。数十メートルの間にCapital CityとCity Centreの2種類の標識が並んでいる。各省庁の建物が集中している丘はとくにCapital Hillと呼ばれている。ここには各省、ほとんど同じ形の建物と会議棟が並ぶ。 |
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![]() このページの写真はすべて2001年撮影 |
矢印どおりに曲がって、10数メートルで、以下の看板になる | |||
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Capital City → City Centre と変わってしまう。 ちなみに、地名の下は、AIDS予防のポスター。これについては、別項で示す。 |
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Capital Hillのさらに北部は工業地帯、そして国際空港へと続いている。 いずれにせよ、リロングウェ北部は人工的に開発した首都で、リロングウェの南部とは趣が違う。北部は閑静で、オフィスビルが建ち、道路は、交通量に比して広く、周囲には雑木林が広がっている。 オフィスビルの建築には南アフリカ資本の企業が入って、現場に白人監督の姿を見かける事が多い。タンザニアなどへの南ア企業の進出は1994年の全人種選挙以後である。しかし、マラウィはそれ以前から南アと正規の貿易関係を保っていた。マラウィ各地の大規模な道路工事、土木・建設工事では、ほとんど南アの企業が携わっている。 |
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City Centreのビル 左のビルは南アの会社によって2000年に竣工した。 右のビルは、やや古く、窓枠は木製である。 |
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計画された北部は、ラウンド アバウトも美しい。 | |||
リロングウェ全体を取り囲んで住宅地が設けられ、それぞれエリヤ番号がついているが、その法則性は不明だ。おそらく、開発された順番に番号付けしたのであろう。リロングウェの町を取り囲んで、不規則に番号が散らばり、新参者には番号を聞いてもどのあたりか見当がつかない。 リロングウェはブランタイヤのように歴史を刻んだ建物は少ない。 歴史関係で挙げるとすれば、新しいが、バンダ初代大統領の墓であろう。バンダ氏は1966年の共和制発足以来の大統領で(独立は1964年)、彼とMCP(マラウィ会議党)は長く権力の座にあって専制的な政治をおこなった。この時期、政治犯も亡命した者も多く出ている。 1994年に現在の大統領に変わり、バンダ氏は1997年に亡くなっている。彼の墓はCapital Cityの中心地に残っている雑木林のなかにある。写真のように、つくりはごく簡単で、大き目のガレージのような屋根がついている程度である。 建国の大統領の墓としては、一方では、ガーナのエンクルマ大統領のように、広大な公園と博物館が併設されているようなところもある。それに比べると、建物の規模、管理の程度で、非常に質素である。ちなみにバンダ氏はガーナで医師として開業していた事もある。 写真は、最近になって、補修の手をいれてからの様子で、補修以前はみすぼらしい状態だったようだ。現在は、墓の移転も含めて再検討がされているようだ。(2006年に再建された墓へのリンク) |
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バンダ前大統領の墓 | |||
Capital Cityには中国庭園、自然保護園、植物園、などがある。それぞれ、補修の手が行き届いていない、準備中、などで十分に人々を集めるほどにはなっていない。 既報のようにマラウィが外交関係をもつ中国は、台湾政府のほうである。台湾政府が援助した施設に共通して中国風の案内板が立っており、興味深い。援助国の個別性を看板などでアピールすることは、日本も橋の欄干のデザインでおこなっている(日本援助のダル・エス・サラームの橋)。 |
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| 一目で中国と分かる看板。 ROCが援助した他の施設も、同一のモチーフだ。 ムズズ病院の例 |
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| 本来は、左の池に水がたたえられているはずだ。 それでも、官庁街の勤め人の散策コースにはなっている。 |
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