ムズズはマラウィ北部の中心都市である。

  マラウィは一般に言えば、南部、中部に人口が多く、開発も南部、中部を中心におこなわれた。ムズズはそのあまり開発されなかった北部の中心地として、目立たない存在であった。

  ムズズは標高1200メートルほどの山がちな土地に位置している。ここでは、ダンボ(Dambo、チェワ語、トゥンブカ語、トンガ語で同一。しかしスケールのニュアンスがやや異なっているようだ)と呼ばれる山間のくぼ地が複雑な地形を形作っている。ダンボはムズズの北、東西を囲むような形で発達している。Mzuzuとはこのダンボの一つに流れ込む川の名前であった。

  ダンボでは集約的な畑が作られている。あるいは草も豊富なので、畑になっていなければ家畜の絶好の放牧地である。

  ムズズは1940年代にアブラギリの農場を開発するために開かれていったが、北部地域の中心地は1960年まではMzimbaであり、ムズズの発展のペースは遅かった。アブラギリから桐油をとることはあまり成功しなかったが、現在でも小規模におこなわれているという。

  植民地時代から続いている農場としては、ムズズの東南200キロメートルのところに広がるゴム農園を挙げることができる。(写真)

  ここは1908年からスコットランド人のMoir兄弟によって開かれた。兄弟の一人がかけているサングラスから、あだ名がMandala(サングラスあるいはそれからの光の反射の意、Tonga語)とついて、ゴム園はMandala農場となった。以後、マラウィ内でMandalaは農場や他の商活動のタイトルとして有名になった。

  ゴム園の持ち主が変化したり、元に戻ったりしたが、現在でもMandala農場として2000ヘクタール以上の規模で続き、ゴムはジンバブウェに輸出されている。20世紀始めに植えた木とはすでに世代が交代している。

  また、ゴム園の近隣のChombeにはチャの農場も出来ている。

  ムズズから南西方向には数百平方キロメートルの規模で植林地帯が広がっている。ここの木は製材して建築材料、合板の材料、木炭の生産に使用されている。木炭の製造には、半球状の炭焼きガマを使用していることが珍しい。煙を吐いている坊主頭が並んでいる様は見ものである(この写真はここで公開しています)。

  最近、1999年にマラウィで2番目の大学、ムズズ大学、が開校した。おもに教育関係の学部が中心である。また、2000年に台湾政府の援助で、マラウィ随一の設備をもつムズズ中央病院がオープンした。これはたんに北部州の中心的な病院であるだけでなく、HIV検査などは全国のものをまかなう可能性がある。

  ムズズは市街地に空港があり、建物は3階までに規制されている。市街が発展できないので、空港を16キロメートル郊外に移転させるべく計画され、すでに土地の手当ては済んでいる。「ジャンボ機も利用できるようにする」と伝えられているが、これは疑問だ。

  次第に北部地域にもさまざまな開発がおこなわれるようになってきた。


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