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日本=マラウィ関係


  マラウィと聞いてその場所が分かる日本人は、残念ながら少ない。私の身近の学生では、アフリカ大陸の南北に位置するエジプトと南アフリカ共和国は、その位置がよくわかっている。しかし、ケニア、タンザニア、ナイジェリア、ガーナ、セネガルとなると、名前はよく知っているが、場所までは難しい。まして、カポ=ベルディ、モーリタニア、サントメ=プリンシペとなると絶望かな。

  しかし、わたしも中米や東欧はさっぱりですが。

  国外に組織的に日本人が出て行く場合は、以下のような3分野が多い。つまり、外交官、商社、援助、である。在外の日本大使館があれば、大使をはじめとしたスタッフとその家族が在住する事になる。商社も同様である。援助関係では国際協力事業団JICAの職員、専門家、青年協力隊のメンバーなどが含まれる。

  この3分野以外では、建築・土木工事を実施したり、計画・検査する会社やコンサルタントが国外に出ている場合。あるいは、観光客もある。NGOが携わっている援助や、調査、芸術活動のために国外に滞在している者もいる。しかし、多くは上記の3分野の者であろう。

  マラウィの場合、3分野の内、大使館、商社関係者がいない。マラウィの在日本大使館はあり、マラウィからのスタッフが3名駐在している。しかし、在マラウィの日本大使館はなく、在ザンビアの大使館が兼務している。最近、モザンビークには日本大使館ができた。「何故マラウィにはできないのだ」と感じてしまう。

  商社については、人口1000万人の小国ではあまり商機がなく、日本人スタッフを駐在させる意味がないのかもしれない。マラウィの主要な輸出産物であるタバコの葉のオークションがおこなわれる時期にはJTからも買い付けに来ている。

  ということで、マラウィに在住する邦人はほとんどが援助関係ということになる。その数は100名強だ。青年協力隊員の数が80名程度。あとは専門家、JICA事務職員、その家族である。じつは、マラウィへの協力隊員の派遣は累計で1000名を越え、フィリピンについで2位になるらしい。サハラ砂漠以南のアフリカ諸国への援助としては、ケニア→タンザニア→ガーナ→マラウィの順番になるので、協力隊員派遣数は随分多く、頑張っている印象だ。

  私は、1992年にはじめてマラウィを訪問した。当時は、男は肩にかかる長髪の禁止、女はズボンとミニスカートの禁止、という服装上のコードがあった。また、特定の湖岸以外での水着姿も禁止されていた。私は、ジーパンで活動する女性協力隊員をタンザニアで見慣れていたが、マラウィではロングスカートでスクーターに乗っている隊員を見かけ、驚いた事を思い出す。

  マラウィ関係の協力隊のOBが中心になって日本=マラウィ協会が作られ、相互理解のための活動をおこなっている。在日のマラウィ大使を招いて国情セミナーを開催したり、日本語=チェワ語辞書を編んだり、その活動はたんなる同窓会をこえて活発である。マラウィ在住邦人がほとんど援助関係であることが効いているのか、あるいは、ほとんど知られていない国に在住した事が効いているのかもしれない。いずれにせよ、さらに両国関係の発展に寄与してもらいたい。


  マラウィにとって、日本からの援助は、協力隊員をはじめとする人的な面でも、援助額という経済的な面でも、貴重なものに違いない。毎年、数十億円規模のODAを実施して、1〜4位の援助国になっている。他の援助額が多い国は、イギリス、アメリカ、ドイツ、デンマークであろうか。

  マラウィの新聞にも日本関係の援助の記事、新しい隊次の協力隊員の到着などが報道される事もしばしばである。