マラウィ案内の表紙に戻る


人の動き


  マラウィ内外での人々の移動は活発で、植民地時代には多くの人が南ア、ジンバブウェ、ザンビアの鉱山に出かけていった。現在でも多くの人が長期間、マラウィ国外に出ている。

  タンザニアでは、多数のマラウィ人がハウスキーパーとして働いている。とくに欧米人あるいは日本人の雇い主の下で、マラウィ人が働いている場合が目に付く。マラウィ人は英語ができる、気質的に穏やかである、と思われている事による。

  長期間タンザニアに住んでいても、出入国管理上の地位は不安定なマラウィ人が多い。15〜20年もタンザニアにいても、滞在許可など書類が不備で、ある日突然逮捕されバスでマラウィ国境まで送り返されてしまうマラウィ人もいる。

  マラウィ政府は、建て前としては「必要な書類を所持していなければ、タンザニアから送還されてもやむなし」と発言している。しかし、「長期にわたって仕事についている実績があるのに、どうしてタンザニア政府は滞在許可を発給して正式に滞在を認める便宜をはからないのか」と歯がゆく思っているマラウィ人も多い。

  マラウィで私の処にいたハウスキーパーは、父親の仕事の関係で、マラウィ生まれタンザニア育ちであった。その後、彼はタンザニア内でもハウスキーパーとして長年働いている。合計35年のタンザニア生活で、妹は現在タンザニアに居住中である。

  マラウィよりもタンザニアがずっと長い私としては、スワヒリ語が話せるハウスキーパーを得た事は、幸運であった。そのかわり、チェワ語は上達せずであった。ハウスキーパーのせいにしてはいけないが。

  タンザニア=マラウィの国境付近では近縁の民族が居住している事もあり、人々の往来は、商用、散歩、伝統医による治療など活発だ。この地域での人々の交流は、上記の都市での就業とは形態が異なる。この地域の様子の一部はすでに紹介した。

  マラウィからタンザニアに出ている人は、政治的な理由による事もある。息子たちが亡命したムワイポポさん、本人が国外を流転したピリ副総長、などの例がある。

  タンザニアからマラウィに働きにきている例もある。ほとんどは何の書類も持たずにやってきて、そのまま長期滞在をしてしまう。ときどきこれらのタンザニア人がつかまって、送還される事がある。裁判では100〜500K程度の罰金か12ヵ月の懲役か、の選択になる事が多い。12ヵ月も不衛生な環境で入獄していたら、寿命に影響する。しかし、100Kでも支払えない人がいる事も事実だ(金銭感覚についてはここに既述)。




ムズズの裁判所の合同庁舎前の彫像。
タンザニアからの入国者は、北部のこの町の裁判所で裁かれることが多い。
地元の作家の作品。




   南部アフリカ地域では、南アフリカが経済的に大きい存在である。

  人口はマラウィの3.5倍、GNPでは90倍である。南アは植民地時代には鉱山労働者を隣国から多く集めた。各会社は労働者集めの事務所、リクルーターを周辺国に配置して、労働者を集めていた。現在は、南アは国外からの鉱山労働者は利用しない方針だ。しかし、様々な機会を通じて、人々は流入している。

  植民地時代から継続して南アに住み、子供たちは南ア国籍のマラウィ出身者がいる。南アの企業に、南ア内やマラウィ内で就職して、現在南アに住んでいるマラウィ人がいる。これらの人を頼って、親族、知人がマラウィから南アに押しかけている。また、とにかく旅行者として入国して、その日暮らしをしている者もいる。

  これらのマラウィ人の中には、正規に南アに滞在できる期間を過ぎても書類の更新をしない、あるいはその必要を知らない者もいる。そして、官憲につかまって送還される事態になる。

  南アからマラウィには、毎月50〜100名が、送還されている。その逆は10名程度だ。

  南ア=マラウィについても、マラウィの公式見解は「必要書類がなければ、送還もやむなし」と、対タンザニアと同様だ。しかし、南アについても「南アの官憲のマラウィ人への取り扱いは悪い。所持品を集めさせる時間をまったく与えないので、ほとんど着の身着のままで送還されてしまう。我々が南ア人を逮捕するときは、少なくとも所持品は回収させる」と苦々しく思っているマラウィ人も多い。

  南アとしては、「もし不法滞在で逮捕されたら、所持品も回収できず、もとの木阿弥だぞ」とメッセージを送っているのかもしれない。


  マラウィはけっして豊かではなく、就業の機会も少ない。仕事を求めての移動であれば、南ア、タンザニア、ジンバブウェ、ザンビアのほうが魅力的であろう。マラウィよりも経済的な条件が厳しいと思われるのは、近隣国ではモザンビークであろうか。

  しかし、これは、マクロな印象を示しただけで、実際に動く一人一人には個別の事情があり、マラウィにやって来る人ももちろんいる。

  マラウィにタンザニア人が入ってきている事は、上に示した。これ以外に、ザンビア、ナイジェリア、モザンビーク、南アなどから不法入国者があり、送還されている。彼らは、マラウィ内で就業を企図している場合もある。また、マラウィのパスポートを不法に得て、英国などに移住するステップとして利用している場合もある。

  時々、パスポートの偽造や、出入国管理のスタンプの模造が摘発されるので、マラウィのパスポートは偽造されやすいのかもしれない。

  不法入国は少ないが、南・西アジアからも多くの人がやってきている。インド、パキスタン、レバノン、シリアなどの国である。タンザニア、ケニアに比較すれば、都市の商店でのアジア人は少ない。それでも、アジア起源の人々が多くの商店を経営しており、そんな商店主を頼って、現在も上記の国々から人々が流入している。

  ブランタイヤ、リロングウェの立派な商店、スーパーマーケット、ガソリンスタンドなどはアジア系の人が所有している事が多い。もちろん、もう少し小さな町の、ハードウェア、布、電気製品の店は、ほとんどアジア人経営だ。



ゾンバのアジア起源の人たちの商店(上下とも)。



  職業を訪ねられたときの、便利な返答に、「会社員」というのがある。わたしも会社に勤めている意識はなく、事実もそうではないが、面倒なときは「会社員」と答える。同様に「businessをやっている」という説明を、アジア系のマラウィ人はよく使う。親族の店で店番を手伝っていても、大きなスーパーを持っていても、すべてbusiness manであり、私が持っていた語感とやや異なっていた。

  マラウィに入ってきている人として、内戦時代のモザンビーク人がある。1992年に内戦が終わってからは多くの人がモザンビークに引き上げた。しかし、残留している人もいるし、病院、学校などの便の上から、いまだにマラウィの施設を頼っている例もある。

  また、コンゴからの難民が6000人、マラウィ国内のキャンプにいる事も付け加えておこう。

  マラウィは内陸国で、国外からの物資の輸入には様々な制限がある。しかし、陸続きでどこまでも移動できる開けた面もあり、人の動きにそれが見て取れる。