タンザニアでは2000年に実施された総選挙の結果を巡って、ザンジバル、とくにマフィア島で抗議行動があり、官憲と衝突して多くの人が亡くなった。死者200人以上といわれている。抗議していた側は、船でケニアのモンバサ近辺にまで逃げ、難民生活をしていた。

  ジンバブウェでは、いわゆる退役軍人の白人農場占拠事件が、2000年から続いている。経済の状態も悪く、ガソリンなどの供給不足、値上げ、それに反対するゼネストなどが起こっている。

  内戦状態が続いていたコンゴでは、カビラ前大統領が2001年1月に暗殺され、その息子が大統領についた。カビラ政権をジンバブウェ、アンゴラなどが支持して軍隊を派遣している。同様に、反対勢力には、ルワンダ、ウガンダなどが加勢している。2002年の8月に停戦協定が結ばれたが軍隊の撤収まで予断を許さない。

  これらの国と比較して言えば、マラウィは近隣諸国の中では、平穏であった。

  外務省の海外安全情報でもずっと登場しなかった(「安全情報」というタイトルで、安全である事を示すのではなく、危険度を示している。そのミスマッチが興味深かったが、2001年5月頃に「危険情報」に変わったようだ)。それが、2001年、4・5月に日本人が強盗に襲われる事件が連続して、危険度1の「注意喚起」が出た。

  ちなみに2は「観光旅行延期勧告」、3「渡航延期勧告」、4「家族等退避勧告」、5「退避勧告」である。


  マラウィの首都のリロングウェはリロングウェ川をはさんで発達した町である(リンク)。国道がリロングウェ川を渡る、そのリロングウェ橋が、強盗事件の現場だ。昼間は通行量が多い、安全そうな場所であるが、夕方以降は危険だとされていた。ケニアの首都ナイロビでも町の真ん中を走る幹線道路沿いに強盗の頻発地点がある。

  したがって、ちょっとでも人目が絶えた場合には、この手の危険がある、という事だ。強盗に遭遇した方にはまことにお気の毒だと思う。重症のようだが、1日も早い回復を祈りたい。



昼間のリロングウェ橋。

町の中心部にあり、人も車も多数、行き来している。
しかし、夕方以降は事件が起こる。

リロングウェ橋に平行する有料の橋について







2001年撮影



  南部の都市ブランタイヤよりさらに南部のムランジェで、2001年の3月に、泥棒が逆に人々に襲われて死んでしまう事件があった。死んだ泥棒はAK47という小銃をもっていた。

  死んだ泥棒は、モザンビークのTeteからマラウィに、不法に入国してきたが詳しい履歴は今となっては分からない。彼は、たんに食いはぐれてやって来たのか、不法に一稼ぎしようとしたのか、はじめは正業を試みたのか、である。泥棒グループの他の6人は、その場は逃げおおせたが、後日つかまっている。彼らはタンザニア、コンゴの出身だという。ようするにマラウィ国外からやってきている事に注目したい。

 もちろん、ブランタイヤでも強盗団は活動しており、被害も、それを捕まえた警察の手柄もときどき新聞上で見かける。

  ゾンバ(ゾンバA)はどうであろうか。ここは、マラウィ第4の都市で人口6万人、落ち着いた風情である。ここでも事件はないわけではない。
2000〜2001年の事件を思い出してみよう。

  ○刑務所からの脱走
ゾンバの刑務所はマラウィで一番大きい。そこから数人の囚人が脱走して、大部分はすぐにつかまった。どうも内部で手引きしたものがいるらしい。

○アジア人商店主の夫人 殺害
中心街のハードウェアの店の夫人である。これは物取りよりも、使用人との軋轢で、使用人が手にかけたらしい。

○ゾンバ高原にすむ強盗団。強盗団がすむなどといわれていた。しかし、夜になると、一般の者が弱いものに対して、にわか強盗に変身するようだ。うわさだけはよく聞いているが、実際の被害の話はまだない。

  という事で、武器を持った組織的強盗、などはゾンバでは聞こえてこない。


  しかし、リロングウェの場合もムランジェの場合も、強盗団が偶然そこにいて、運が悪い人が遭遇してしまったわけではない。国内に強盗団が発生したり、近隣国々から流入して犯罪を発生させる構造になっている事に注目しなくてはならない。

  マラウィは治安が比較的いいと考えられているが、気を引き締める必要がある。

  マラウィにとっては「近隣の国と比較して治安がいい」と考えられていること自体が問題なのかもしれない。他の国では緊張していた旅行者が、マラウィに来たとたん、警戒を緩めて事故に遭う場合もあるようだから。


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