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物の動き

概況

  マラウィに物資を入れるおもな港は、北からタンザニアのダル・エス・サラーム、モザンビークのベイラ、マプト、南アのダーバンである。






ダル・エス・サラーム経由の運送

  中古自動車はほとんどがダル・エス・サラーム経由で、日本、あるいは中東の国を経て入ってきている。

  セダン、ピックアップ、ミニバス(ハイエースからコースター程度の大きさの車が使用されている)ではダル・エス・サラーム経由が80パーセントだという。燃料の輸送もダル・エス・サラーム経由が多い。自動車以外では、マラウィの輸入の13〜20パーセントがダル・エス・サラーム経由である。

  ダル・エス・サラームを経由する輸送の始まりは新しい。

  1990年代はじめになって、マラウィ=タンザニアの国境の橋が整備された。橋までたどり着く道も1980年代には劣悪で、タンザニア側もマラウィ側も1990年代初めに整備された。ダル・エス・サラームからタンザニア西部の都市、ムベヤまでは一般に鉄道で輸送し、ムベヤでトラックに積み替えてマラウィに入る。そのための施設、Malawi Depoができたのも1990年代初めである。



  ダル・エス・サラーム経由の輸送路の整備は、モザンビークでの内戦の影響でベイラが使用できなかったためもある。モザンビークの内戦は1992年に終わったが、ダル・エス・サラーム経由の輸送は今日でも重要である。




タンザニア、ムベヤのMalawi Depo

ダル・エス・サラームからの鉄道貨物は、右のクレーンでトラックに移され、マラウィまで運ばれる。


その他のインド洋への経路

  マラウィの首都リロングウェから西へ、ザンビアへ入る国境の街がムチンジである。

  ここはザンビアとの行き来で賑わいを見せている。ザンビアからは肉製品を持ち込み、マラウィからは燃料、ソーダを持ち出す場合が多いようだ。モザンビークの内戦中は、ムチンジからザンビアのルサカを通って、ジンバブウェ、南アの港というルートでマラウィは海に接していた。現在はダル・エス・サラームも利用できるし、モザンビークのベイラ、あるいはモザンビーク内を通過して南アのダーバンに行く事もできる。ムチンジの賑わいは内戦当時より下火になったようだ。


  マラウィ湖の南の地方からは、道路の場合はマンゴッチ、鉄道の場合はリウォンデから東にモザンビーク内を進み、インド洋岸のナカラに達する交通路の整備が計画されている。

  モザンビーク側とも打ち合せは進めているようだ。道路がマンゴッチ付近でマラウィ湖からの川を横断する橋は建築中で2001年11月に完成する。全体の整備完了のスケジュールは明示されていない。これが完成すれば、インド洋への新しい交通路が整備され、マラウィだけでなくザンビアなどにも恩恵がある。



運輸が大事

  タンザニア西部のムベヤの町を見て歩いた。ムベヤはタンザニアとマラウィ、ザンビアを陸路で結ぶときの要所であり、人口ではタンザニア第3位になっている。町の様子は、どこでも見慣れたアフリカの風景であったが、白人やアジア起源の人々ではなく、アフリカ人の金持ちが出てきているようで、印象的であった。

  植民地時代の総督府の建物、役所、そして、現在も大規模な事業をしているような白人の建物は、小高い丘の上に、壮大に作られている。上記のタンザニア人の金持ちの家はそこまで行かず、一般の住宅地に、やや広い敷地を確保している。しかし、建物は立派で、文字通りぴかぴかのペンキで塗ってあることもある。芝生の緑と、衛星放送用のパラボラアンテナが目立つ。

  彼らの職業は以下のようなものだ。

  バスを所有して旅客運送、農作物を州の間で運送しての転売、トラックを所有しての貸し切りの運送業、生活用品・自動車部品を国外で調達して小売り、あるいは麻薬の密売らしいという人もいた。ようするにすべて輸送に関係する職業だ。みずから農作物を作る、工場で生産する、あるいは仕立て屋、床屋、旅館、食堂などで金持ちになっている人には、ほとんど出会わない。

  タンザニア、マラウィなどでは輸送が経済活動の大きなネックになっており、運搬手段を上手に利用できる者は利益をあげている。

  ヨーロッパやアジア起源の人だけでなく、アフリカの人の中にも金持ちが出てきている事は、歓迎すべきだ。


麻薬

  違法に物を運搬して大きな利益を得る場合もある。麻薬の密売、流通で関係者が儲かり、利用者が廃人になるのは歓迎できないことの筆頭だ。大麻は、他の種類の麻薬に比べて、栽培地域も広く、単価が安いのでアフリカでも普及してしまっている。

  マラウィでは、国外から流入する大麻も、国内で生産される大麻もあるようだ。国外からのものは、西アジアから海路タンザニアを経て来ている陸路でソマリアからケニア、その後海路でタンザニアもあるようだ。

  マラウィ国内では、大麻の畑は2000平方キロメートル弱あるといわれている。

  マラウィでは大麻はチャンバと呼ばれているが、毎年、チャンバ関連で1000人前後が警察に逮捕されている。ほとんどがマラウィ人であるが、ジンバブウェ人、南ア人もつかまる事がある。2000年の押収量は80トンであった。

  私が住むゾンバにはマラウィで唯一の精神病院がある。ここで取り扱う若者の精神疾患の原因のほとんどがチャンバによるものだ。さらに遠因には、チャンバに頼らざるを得なかった家庭環境、経済的状況もあるのだろう。マラウィでチャンバが若者、とくに男子に与えている悪影響は大きい。


様々な例

  マラウィのような内陸国では、国境をはさんで物を移動させ、両国の間での価格差を利用して儲けることは、ありふれた仕事だ。扱う分量が問題で、個人使用の量を超えた分量で、本来ならば関税を支払うべきなのに、抜け道から出入国したり、他の荷物の間に隠したりする事もある。

  南アから少量のものを持ち込む商売では、人々は正規に国境を越えている。個人的に持ち込んだ少量の物をマラウィ内で売却するというスタイルだ。したがって、そんなに多くのものは持ち込めない。テレビ、ステレオ、などを一台。あるいは食用油を20リットル、シャンプーを20本、などだ。

  南アのヨハネスブルグとマラウィのブランタイヤは1500キロメートルほど離れており、この間を結ぶ国際便のバスが、毎日出ている。これには買い出しのマラウィ人がたくさん乗っている。ジンバブウェのモザンビーク側と南ア側の国境は夜は閉まってしまうので、上記の行程で24時間はかかる。また、途中、モザンビークを通過するのに、通過するだけで、一人10ランド(100K)を請求されるのが痛い。

  それでも月に何回も南アに通い、毎月数万Kの利益をあげている人もいる。彼らは、台所用品、やや高級な衣類、自動車部品、などを扱っている。

  少数であるが、マラウィから南アに「輸出」をしているマラウィ人もいる。輸出品は、呪薬だ。マラウィで集め、ときどき南アに出かけ、病状を聞きながら販売している。これらの人によれば、南アにも呪術医はいるが、彼らの薬はさっぱり信用されていない。南アの地方都市を回るが、現地についたらすぐに新聞広告を出して客を集める。

  そういえば、ゾンバにもヨーロッパから白人の心霊術師がやってきて、集会を開く旨の広告が出ていた。また、タンザニアの村にも、逆に南アから呪術師がやってきて数週間滞在していく事がある。

  南ア以外の国とは、上記のムチンジから燃料、ソーダをザンビア側に持ち出す商売、タンザニアとの国境、Karongaから砂糖、ソーダ、米をタンザニア側に持ち出す商売は、たいへんに儲かるようだ。これらは違法で、税関吏の眼が届かないところで行われる。


自動車事情

  南アの組立工場でできた新車(トヨタ、フォルクスワーゲン、BMWなどが進出している)、あるいは日本、ヨーロッパからの中古車がマラウィに入ってきている。中古車は日本製が非常に多い。とくにミニバスでは日本車以外は見かけないほどだ。セダン、ピックアップも日本製が多いが、それ以外ではプジョー、フォルクスワーゲン、公用車ではベンツを見かける。また、韓国車も次第に入ってきている。

  マラウィ国内には自動車の組立工場がない。すべての自動車は、国境を越えて輸送されてくるが、ここでも犯罪が発生してしまう。

  南アで購入した中古自動車がじつは盗難車であり、Interpol(国際刑事警察機構)から返却を命じられているマラウィナンバーの自動車が何十台もある。所有者たちは、合法的に車を購入したつもりであったので、法的な対抗手段を模索しているようだ。また、南アの前所有者が自分の車をマラウィ人に売却し、後日、「盗まれた」と届け出て保険金を手にする、詐欺事件に巻き込まれている場合もある。

  マラウィ内で盗まれた車が国外に出ている場合もある。2000年にマラウィ内で届けられた自動車盗難は114台で、警察は50台を発見した。その内、11台はモザンビーク、17台はザンビアで発見されたという。道路の要所には警察のチェックがあるが、泥棒もそれを迂回すべく努力している。盗難車は国外に運び出されていると考えたほうがいいようだ。

  中古自動車は、日本では大学生が夏休みにアルバイトすれば購入可能だ。しかし、マラウィ、タンザニアでは自動車は非常に高価で、それを狙う人も多い。盗むためには、運転者の命を脅かす覚悟で行動している集団もある。ケニア、タンザニアでは車を狙った賊に運転していた邦人が撃たれる事件が発生している。また、見栄えがいい自動車には乗らないように努めている方もいる。



  国境という一つの境界の存在と、運送手段の不備が、南部アフリカでの物の動きを条件付けている様子を、いくつかの側面から垣間見る事ができた。