○宗教

イスラム教徒は人口の20パーセント前後で、マラウィ湖畔や北部に比較的多い。キリスト教徒は70パーセント前後で、カトリックよりもプロテスタント各派のほうが多い。

ムルジ現大統領はイスラム教徒で、Sukut派に属している。少数派のイスラム教徒から大統領が出ているのは、人事のあやで興味深い。タンザニアの初代大統領のニエレレ氏も、タンザニア内の少数民族出身であった。

現大統領は民主的な意思決定、民族間の対話を掲げている。もちろん一国のリーダーとして、キリスト教のリーダーと会ったり、行事に参加したりする。イスラム教徒の中には「彼はイスラム教徒であるのにけしからん」と思っている人もあり、抗議文が大統領に届けられることもあった。

 


○チェワ語/ニャンジャ語

  マラウィ内には40程度の民族集団があるといわれる。それぞれの民族集団の輪郭はあいまいで、簡単に区切ることは出来ない。何を指標として区切るか悩ましいし、せっかく区切っても時間的にどんどん変化してしまう。

言葉は民族集団を区切る重要な指標なので、ここから見てみよう。マラウィの公用語としてチェワ語と英語が挙げられている。チェワ語とはチェワ人の言葉の意味であるが、現在は公用語と定められるのでチェワ人以外の多くの人が使用する。マラウィ南部、中部ではほとんどの人が使用することが出来る。北部ではトゥンブカ語のほうがよく通じることもある。

このチェワ語をニャンジャ語と改称しようという提案がある。現在、ニャンジャ語と呼ばれる言葉もあり、ザンビア、モザンビーク、そしてマラウィの東・南部で使用されている。チェワ語とニャンジャ語は同じ、あるいは、ごく僅かの違いしかない。

提案の理由は以下の通り。

1)同じ言葉であるから同じ名称にすべき。チェワ、ニャンジャ、マンガンジャ、チペタなどの名称でマラウィ、ザンビア、モザンビークに分布している人々はコンゴから移動してきて、マラヴィ王国を一緒に作った同一系統の民族集団であるとされている。ザンビアやモザンビークでは彼らの言葉はニャンジャ語と呼ばれている。したがって、マラウィ内のチェワ語の名称についても大同についてニャンジャ語にすべきだとの主張だ。

2)チェワ語とするとチェワ人に特有の言葉のようなニュアンスがあり、マラウィ国の公用語に適さない。実は、ニャンジャ語としてもニャンジャ人はいるのであるが、マラウィ東・南部に少数いるだけで、マラウィの有力民族となっているチェワ人とは影響が違う。大きく見ればチェワ語もニャンジャ語も同じであり、マラウィ内では有力なチェワ人のチェワ語にニャンジャ語は包括されている形だ。

この提案は議論が進んでいるので、いずれ決着がつくだろう。面倒なのはニャンジャという名称が軽蔑的な意味合いを感じさせることだ。また、誤解によってついた名称かもしれないことだ。

マラウィ湖のマクレア岬でリビングストン宣教団(220)がこの言葉に出会ったときには、ニャンジャ人が話す言葉としてニャンジャ語と名づけた。これは1875年と特定できる。

この名称はやや軽蔑的な意味を含んでいたらしい。字義的には「湖に住む人/湖に住む人の言葉」という意味で、「湖に住む
野蛮な人/その言葉」とまでのニュアンスを単語の中に含んでいるのか、あるいはこの言葉を発した人が軽蔑の意味を込めたのか、よくわからない。宣教団がモザンビークやザンビアに出かけるにつれ、そこでも同じ言葉を使用する人々に出会い、ニャンジャ語として認識し同一の名称をつけた。一方、マラウィ内ではニャンジャ語に出会った宣教団とは別の宣教団が、チェワ人が話す言葉をチェワ語と名づけた。両者を同時に知っている宣教団がいなかったので別々に名前がついて、そのままになっていたのだ。

ちなみにマラウィという国名も、15001700年ころザンビア、マラウィ、モザンビークにかけて存在したマラヴィ王国(210参照)との音の連想で採択されたチェワ語だ。チェワ語のマラウィは、光、炎などを意味する。マラウィ国旗に出てくるような夜明けを思わせる太陽の光であろうか。

マラウィの国名の正式表記ではWの上に小さな山形の記号がついている。これは一般のWとは違って、VFに近い音で、ソフトな、あるいはにごったWだとも説明されている。この音はマラウィ中部地方の特有の音らしい。この地方出身のバンダ氏が大統領の時代には、国名以外にもこの音を使用する表記があったが、いまはめっきり少なくなっている。国名であっても普通のWを使用することが多い。

 

○白人住民

正確には不明だが、人口の0.3パーセント、3万人程度が、おもに都市部に生活している。農村にも入植者がいる。

同じ南部アフリカにあるジンバブウェでは、植民地時代には450万人の白人が居住していた。それが、独立直前から白人の国外退去が一貫して続いている。最近ではムガベ大統領の白人農園主追い出し政策(711)もあり、白人の数は全人口の1パーセント、10万人程度である。このうち、イギリス国籍保有者は2万人と聞く。

南アフリカ共和国の白人は全人口の13パーセント、512万人と言われている。1994年の全人種選挙を経て、南アも白人大統領ではなくなった。いままでのように権益が保護されないと見て国外に出た白人もいるだろうが、逆に周辺国から南アに入ってくる白人、アジア系住民もいる。経済的なチャンス、社会基盤の整備から見て南アが魅力的に見えるようだ。

ジンバブウェ、南アと比べるとマラウィの白人は少数だ。ジンバブウェや南アが抱える白人による利権の独占の問題は少ない。農地としても、ビジネスをおこなうにしても、鉱物資源を探すにしても、マラウィは魅力的な場所とは思われなかったからかもしれない。

 

○白人農場

絶対数は少ないが、マラウィにも白人入植者の農場がある。多くは、南部の都市のブランタイヤやゾンバの周辺、あるいはさらに南のムランジェ山周辺の高原地帯に位置している。白人の中には早くも19001910年に入植した者もいる。現在、実際に農場経営をしている世代はマラウィ生まれで、マラウィ国籍をもっている。植民地支配との関係で、イギリス出身者が多いが、ギリシャ、パレスチナ、イタリアを出身地とする人もいる。

最近になってアフリカと広く付き合うようになった日本人としては、すでに入植して何世代もたつヨーロッパや西アジア出身者に対して「なぜ、ここにいるんだ」と不思議に思ってしまう。しかし、あらゆる機会に人々は移動し拡散していくのが当然で、特別な時にそれが止まる、と考えたほうがいいのかもしれない。

 

○アジア系住民

南・西アジアからも多くの人がマラウィにやってきている。インド、パキスタン、レバノン、シリアなどの国からである。都市の立派な商店、スーパーマーケット、ガソリンスタンドなどはアジア系の人が所有している事が多い。もう少し小さな町の、ハードウェア、布、電気製品の店は、ほとんどアジア人経営だ。彼らを頼って現在も上記の国々から人々が流入している。「町の商店主はアジア人だらけだ」と驚く人もいる。しかし、タンザニア、ケニアに比較すれば、都市の商店でのアジア人は少ない。

















 

南部の都市、ゾンバにあるアジア系住民の商店。その商店名に出身がうかがえる。 2000年撮影






















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マラウィに住む人々