食品の国を越えた動き


  ニャキュウサ人が住むニャキュウサ・ランドはタンザニアの南西端に位置している。ここには南北500キロメートルにニャサ(あるいはマラウィ)湖が伸びており、その北側が彼らの居住地である。ニャキュウサ・ランドはマラウィとの国境に接している。また、ザンビアとの国境にも近い。とくにマラウィとの国境では、マラウィ内にもいくつかのニャキュウサ人の村がある。また、この地域に多く住むンコンデ人は、言葉や伝統的な社会組織の上でニャキュウサ人と似かよっている。


 ニャキュウサ人は農耕を主体に生活している。タンザニアのはずれで、中心都市のダル・エス・サラームから1000キロメートル近くも離れた土地であるが、人々の移動は活発である。この土地で入手できる物は、必ずしもニャキュウサ・ランド内で生産されるものだけではない。タンザニア国内はもとより、国外からの物もニャキュウサ人にとって重要な存在となっている。ここではおもにタンザニア国外からの食物について紹介し、彼らの世界の広がりを考えてみたい。


砂糖

 
ニャキュウサ・ランドがマラウィに近いためか、マーケットで見かける砂糖のほとんどがマラウィ製である。ザンビア製の砂糖にも時々出会う事がある。


 マラウィでは中部と南部に広大なサトウキビのプランテーションがある。ここで生産された砂糖は、マラウィ内ではトラックで運搬される。


 マラウィ―タンザニアの国境にはソングウェ川が流れている。この川は、乾季には歩いて渡る事ができる。ただし、マラウィ側からソングウェ川に近づくためには、小さな流れをいくつも横切らなくてはならない。これらの流れにはトラックを支えるほどしっかりした橋はかかっていない。したがって、トラックは、ちいさなピックアップであっても、ソングウェ川の手前数キロメートルで止まり、砂糖は少年たちが押す自転車に積み替えられる。少年たちは20キログラム入りの砂糖を一人で最高8袋も自転車に括りつけてソングウェ川まで運んでいる。


  砂糖は、タンザニアとの国境の川をカヌーによって渡され、タンザニア側で再びトラックに積み替えられる。タンザニア側ではトラックがソングウェ川の岸まで来ることができるのだ。1日に2回程度、7トンのトラックがやってくる。このような渡し場がソングウェ川に沿って、少なくとも2ヵ所ある。


この砂糖の運搬は、いわば密輸入、密輸出とされるものである。タンザニア、マラウィ両国の出入国管理の事務所と税関はソングウェ川の渡し場の上流20キロメートルほどのところにある。ここを通過する道路と橋は整備されており、上記の自転車とカヌーによる運搬の苦労はない。しかし、税金を支払わなければならない。


 タンザニア側に入った砂糖は、近隣の常設マーケットで販売されている。マラウィでは20キログラムで750円程度であるが、ニャキュウサ・ランド内では1000〜1200円もする(価格と日本円への換算は1990年代中ごろの値である。以下も同様)。国境近隣のマーケットよりタンザニア国内に入ったところ、たとえば、120キロメートル離れたRegionの中心都市まで運んで販売しようとすると、途中の道路で監視している警察や税関吏に税金を要求される。つまり、マラウィに接しているニャキュウサ・ランドの一部ではマラウィ産の砂糖の販売は容認されているが、これから外れると取り締まりの対象になってしまうのである。もちろん、取り締まりを逃れた販売もある。


ビール、ソフトドリンク

 
上記とおなじルートをたどってマラウィ産のビールやコカコーラ、ファンタがタンザニアに持ち込まれていた。ところが1998年ころから、ニャキュウサ・ランド内でマラウィ産のこれらの製品を見かけなくなった。ニャキュウサ・ランドにビールがなくなったのではない。タンザニア産のビール、ソフトドリンクが充分に流通し始め、結果的にマラウィ製品が駆逐されたのである。


 アパルトヘイト時代から、アフリカでは強大な経済力を持つ南アフリカの製品が、非公式な形でアフリカ諸国へ流出していた。1994年にマンデラ大統領が誕生してから、アフリカ諸国は南アフリカに敵対的な外交政策をやめた。南アフリカとの交渉の窓口が開かれ、南アの製品も資本もアフリカ各国へ進出していった。タンザニアにも南アフリカ資本が入り、ビール工場、ソフトドリンク工場が新設されたり、整備しなおされて生産量を上げていったのである。


 現在、マラウィ製の飲料で、ニャキュウサ・ランド内で流通しているのは、ウィスキーとブランデーである。一般的な量のものは瓶詰めで、少量のものはビニールの袋に詰めて販売されている。美しいカットグラスにピュアな氷をいれて楽しむウィスキーも美味いが、ニャキュウサ・ランドでビニール袋のウィスキーをトウモロコシとシコクビエの地酒に混ぜて飲む事がある。これを友人と談笑しながらバナナの木陰で飲んでも、また別の楽しさがある。



トウモロコシ・米

 トウモロコシは調理用バナナ、コメとともにニャキュウサ人の食生活を支える重要な作物である。ニャキュウサ・ランドのほとんどの地域で1年に1回、一部の地域で1年に2回の収穫がある。収穫時期直前にはトウモロコシの値段は高くなり、収穫時期が異なったり、生産量が多い他のRegionから輸送される。1980年代にはRegion間の食物の輸送は抑制されていた。現在では、税金は徴収されるものの、政府によって輸送が抑制される事はない。例外として、タンザニアの各地で天候不順などで収穫不足が予想されると、政府によってRegion間の穀物の輸送がコントロールされる事もある。


 さて、1998年には収穫量がやや不足した。この時、ケニアからトウモロコシを密輸入してタンザニア南部で販売した組織があった。タンザニアの中心的な港のダル・エス・サラームは監視の目が多いので避け、タンザニア南部のリンディやムトゥワラにトウモロコシをケニアから船で運び、タンザニアの内陸部にいれた。これらのトウモロコシは地方のマーケットに流通すれば、20リットル入りのバケツなどで計量して販売され、その生産地を特定する事はできなくなる。


 ニャキュウサ・ランドにはこのトウモロコシだけでなく、マラウィのトウモロコシと米は恒常的に入っている。マラウィで米は80キログラム入りの袋で2000円弱であるが、タンザニア内では2500〜2700円もする。タンザニアと接したマラウィ側では、一部の水田では灌漑施設が整っている。台湾政府の援助によるもので、ここでは1年に2回以上の収穫が期待できる。一方、ニャキュウサ・ランドでもニャサ湖に近い地域ではイネの栽培が盛んであるが、灌漑施設が整っていないために、年1回の収穫しか望めない。


ニャキュウサ・ランドの稲作地域の米は、地名をとってキエラ米としてタンザニア内では知られている。いわばブランド品として、マーケットでは「キエラ米だよ」と売り子が声をかけている。たしかにキエラ米は日本の米と比べてもとくべつに違和感がある味ではなく、炊いて充分に食べる事ができる。残念ながら、マラウィ側の米と同時に食べ比べる機会はまだないが、マラウィの米も単独で食べれば、十分においしい。値段が安いマラウィの米がニャキュウサ・ランドに入り、ニャキュウサ人に食されるだけでなく、キエラ米の名称でタンザニアの他地に流通しているかもしれない。


チャ、カカオ

 ニャキュウサ・ランドから国外に出している食品は、プランテーションで栽培されているチャと個人農家世帯のカカオがある。チャについては、イギリスの有名企業が所有しているプランテーションもタンザニア内にあり、いわばタンザニアの外貨収入を支える一助となっている。


 カカオは販売のルートが充分に整っていない。地方の公社が買い取る一方で、他のRegionからインド人商人が買い付けに来たりしている。


 チャの場合は、最上等の物は輸出用になるが、品位が低いものについては国内で消費され、ニャキュウサ人の村でも紅茶にありつく事ができる。しかし、カカオの利用はニャキュウサ・ランド内では見られない。カカオ豆の周囲の果肉を少年たちが遊びで食べる事がある程度である。


広いつながり

 タンザニアの南西のはじに位置し、ニャキュウサ人は土地に縛り付けられて生活をしているように思われるかもしれない。しかし、国外から入ってくる食べ物を取り上げただけでも広い地域との関係がある。さらに、食物以外の物の交流、人の移動や、情報の伝達、送金を通じた経済上のつながりに目を広げると、ニャキュウサ・ランドはタンザニア国内、国外の地域と広く結ばれていることが分かってくる。


written by TAROTAKO
『リトルワールド』73号に掲載したものに加筆させていただきました。





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