他所で示したように、人間をいくつかの民族集団に分けようとすることは恣意的な操作でもあり、難しい。ある基準での分類と、他の基準での分類が矛盾することも多々ある。その一方で、恣意的であろうと分類をしないと整理がつかず、情報を伝えることが出来ないこともある。これは言葉の性格そのものである。



○バントゥー諸語
多くの言語を取り上げて、その語彙を組織的に比較することで、言葉相互の遠近を示すことが出来る。この遠近を利用して、近しい言葉は語族としてまとめられる(語族だけでなく、語群、語派などの用語も、その分類のレベルに応じて用いられる。

ここではレベルについては話題にしないので、すべて「語族」として記述する)。この中にバントゥー諸語とよばれる語族があり、この語族を使用する民族集団がタンザニアに多く住んでいる。バントゥー諸語では、人を表す単語の祖形を再構成するとba-ntuとなる。現在のバントゥー諸語で、その関連性を見ることは容易である。表にタンザニアとその周辺国でのバントゥー諸語の例を示した。

 

「人」を表す単語

 

単 数

複 数

分布地

スワヒリ

mtu

watu

タンザニア インド洋岸

サンバー

mntu

wantu

タンザニア北東部

ハヤ

omuntu

obantu

タンザニア中部

ニャキュウサ

umundu

abandu

タンザニア南西部

フンデ

mundu

bandu

コンゴ北東、キブ湖北西

チェワ(ニャンジャ)

munthu

anthu

ザンビア、マラウィ

 


このバントゥー諸語に属する言葉は600もあり、現在ではアフリカ大陸の中部、東部、南部に広く分布している。これらの言語の一つの特徴として、名詞がいくつかのクラスに分かれ、それに対応して動詞や形容詞の形が変化する。あたかもフランス語で名詞が女性形と男性形に分かれているようなものである。

「フランス語の名詞が男女に分かれていることは、ジェンダー問題に抵触し、けしからん」と誰かが声をあげるかもしれない。英語ではかなり神経質に言いかえたりしている。チェアマンはチェアパーソンになった。スチュワーデスは性別がつかないフライトアテンダントになった。ハウスワイフをハウスメーカーである。日本語でも看護婦→看護師、スチュワーデス→客室乗務員、などとなっている。フランス語でジェンダー問題を言い出す人が見あたらないのは不思議だ。形の上での区別に目くじらを立てないで、おしゃれの一種として女性言葉を利用することもあろう。

バントゥー諸語は、必ずしも性別に注目したクラスではない。スワヒリ語を例に取れば、人に関係する名詞(教員、生徒、病人など)、小さいことに関係した名詞(村、少年)、抽象的なことに関係した名詞(地方自治体、団結)、などのクラスがあり、どれか一つの卓越したクラス分けの論理があるとは思えない。さまざまな分類方法が混在している。

1969年の資料によると,バントゥー諸語を使用する民族のなかでもビクトリア湖の南に居住するスクマ族が最大で,100万人以上の人口を持つ。

その他、ニャムウェジ,マコンデ,ハヤ,チャガが30万以上。
ゴゴ,ハ,ヘヘ,ニャキューサ,ルグルが20万台。
ベナ,ニャトゥル,シャンバラ,ザラモ,イランバ,ヤオ,ムウェラ,ジグア,パレ,マクア,ニイカ,ランギなどが10万台
ジジ,ソンジョ,ビンザは,言語人口が5,000を下回る。

となっているが、1969年の資料はいかにも古い。しかし、これ以後は民族集団ごとに人口を調べることは過剰に民族意識を煽り、タンザニアとしての国家建設に益がない、との判断で民族集団ごとの人口はでていない。また、民族集団間での婚姻などによって、民族集団の輪郭は常に変化しているので、個人が属する民族集団名を特定しようとしてもあまり意味がない。

ということで、ごく大まかに民族集団の規模が推定できるだけだ。上記でニャキュウサ人は20万台となっているが、2000年にはタンザニア国内に100万人、国外に40万人程度がいると推定される。

タンザニアのインド洋岸や島々にはスワヒリSwahiliと呼ばれる人びとが住んでいる。彼らは都市に住み,アラブなどと混血したバントゥー諸語に属するスワヒリ語の使用者で、一般にイスラームを信仰している。スワヒリ語は東部アフリカを中心に交易などに広く用いられ、従来の個別の民族集団ごとの言語とは異なった、いわば民族際的とでも言える性格を持っている。同時に、交易、都市的生活、イスラーム教なども、これを取り入れる者には広く浸透する性格を持っていた。したがって、スワヒリというのは一般的な民族集団とは異なった集団ではあるが、文脈によってはひとつの共通の文化を持った集団として扱われている。



○バントゥー諸語以外

バントゥー諸語に属さない言葉、たとえば、ナイロート語族,クシ語族,コイサン語族の言葉を使用する民族集団もタンザニア内に居住している。これらの人びとも、周囲との接触の中で多数の言葉を聞き、複数の言葉を話すことが普通になっている。

 非バントゥー系諸語の使用者はおもに北中央部の大地溝帯付近に住んでいる。

ナイロート語族の言語を話すのは,マサイ(6万),ダトーガ(3万)のほか,ここ100年の間にケニアから移住してきたルオ(8万)などで、いずれも牧畜民である。

アフロ・アジア語族、別名セム・ハム語族の中では、クシ語族に属する言語を話す農牧民のイラク(14万)が大きく,次いでムブグ(1万)などである。タンザニアに住むイラクはクシ語系の言語使用者としては最南端に居住する。

コイサン語を話す部族にはサンダウェ族(3万)やハッツァ族がいる。ハッツァは南アフリカのサン(ブッシュマン)と近縁で,狩猟採集生活を営んでいた。



○インド系

タンザニアには、アラブ系、インド系など、いわゆる黒人以外の人びとも多数居住している。

インド洋上のペンバ島にはペルシア起源と称するシラジ人が住み、タンザニア各地の都市では,インドやパキスタンからのアジア人、ケニアやソマリアからのソマリ人などが交易、運送業、サービス業に携わっている。

インド系の人びとは都市部で活躍している。ダル・エス・サラームで商店に入ると、ほとんどインド系の人が仕切っている。また、医師や弁護士として活躍している人も多い。はじめてアフリカを訪問し、黒人だけの世界を予想した人には、タンザニアはインド系がずいぶん多い国に映るだろう。

インド系が多いのは、植民地時代からの原因がある。タンザニアは第1次世界大戦後、ドイツの支配からイギリスの支配に移った。イギリスは当時インドも支配しており、労働者や下級官僚としてインド人をタンザニアに連れてきたのである。イギリス政府だけでなく、アフリカで活動していたイギリス系の企業も、労働者をインドで募集した。

当時ケニアやタンザニアに住んでいた人びとは、イギリスの政府や企業が要求する技能を身につけていなかった。たとえ植民地で支配される立場であろうと、支配側が要求する技能がなければ労働者として働くことも難しい。たとえば、指定された数量の資材を倉庫から運び出し、それを台帳に記録する。あるいは工具を朝、保管場所から持ち出して使用し、夕方、同じ数量があることを確認して返却する。作業内容についてメモで連絡を受け、それを参照しながら作業を進める。これらのことには、白人が持ち込んだ読み書きや計算、記録の標準的なやり方の習熟が必要である。当時のインド人はすでにこれらを学び、アフリカの人びとはそうでなかった。

ツルハシやハンマーを使う時、いつ、どのように力を入れるべきか、などもこれらの工具に親しんでいないと分からない。時代は異なるが、自動車のドアの閉め方、電気製品のスイッチの押し方にも慣れや小さなこつが必要だ。自動車のドアははじめから勢いをつけなくても静かに閉めて、最後に力を入れれば確実に閉まる。親の敵のようにはじめから力一杯に閉める必要はなく、しかし、最後での力がないと半ドアになってしまう。ズボンのファスナーは最後に引き手を下げておけば、ストッパーがかかってずり落ちない。金槌ははじめは小刻みに叩いて釘を安定させ、あとから力を入れて叩く。さらに言えば釘にあたる面には平面の端と、凸面の端があり、使い分ける。ドライバーでビスゆるめる時は、ドライバーをビスに押しつけるほうが主で、回す力は二次的である。こうした、こつのようなものは伝達にしばらく時間がかかるかもしれない。今までこれらに縁がなかったアフリカの人びとに、イギリスが急に教えようとしても、難しかったのであろう。

最近の日本の小学生に釘を打たせる。すると、「釘を板の上に立てて指を離し、釘が倒れる前に打ち込もうと力一杯金槌を打ちつける者がいる」と聞いた。現場の教員の話なので確かだと思う。逆に、メールを使用しない50歳代の人がいるなど、中学生や高校生には信じられないかもしれない。また、パソコンの電源を切るときにOSを終了させないで、電源からコンセントを抜いてしまう人などもいるだろう。ひょっとすると現在の日本の世代間の基本的な技能の差も、かなり大きいのかもしれない。

イギリスとの関係でインド系の人びとが多い事情は、タンザニアだけでなく、ケニアや南アフリカでも同様である。南アフリカのインド洋岸の港湾都市であるダーバンには大きなインド人コミュニティがある。イギリス留学で弁護士資格を取った若きガンディーは、まずダーバンで仕事をしようとやって来た。彼はここで人種差別に曝され、差別撤廃運動をはじめたのである。

ダル・エス・サラームにはインディア・ストリートと名前が付いている通りがあり、インド人が経営するハードウェアの店(工具、建材、荒物を販売する店)が集中している。また、この近くにはインディラ・ガンディー道路も通っている。

インド人が都市の商店に君臨していることから、タンザニア経済はインド人に牛耳られている、と表現する人もいる。同じような発想からインド人追放をウガンダのアミン大統領はおこなった。しかし、インド人がいたから現在の水準の経済活動が保てるのであり、彼らが退去したら同水準の活動を維持することは難しい、とも考えることができる。

医療関係でもインドとタンザニアは関係が深い。タンザニアの病院で手にあまる患者は、インド、ケニア、南ア、あるいはイギリスなどに運ばれる。具体的には心臓、脳や眼の手術である。個人の金で手術に出かける場合と政府がアレンジする場合とがあるが、後者の場合には数十人のグループを作り、看護婦が付き添ってインドの病院に送り出される。このグループに加わって治療を受ける対象になるための競争は熾烈である。
国外での手術をまつタンザニアの子供はリストになっているだけで4000人程度いるが、実際に政府の資金で手術できるのは200名程度であり、単純に計算すれば20年間の待機になる。その間に手術が出来なくなったり、あるいは亡くなったりする事もある。



○白人など

「白人」は漠然とした呼称だが、数十万人の単位でタンザニアに住んでいる。民族集団別、人種別に分けている統計はないので、正確には分からない。数十万人規模で、全人口の1パーセントレベルであるとされている。周辺の国では、マラウィでは人口の0.3パーセント程度、ジンバブウェでは2000年頃からの政策で多数の白人が国外退去して、やはり1パーセントレベル、南アフリカでは13パーセントの人口を白人が占めている。

インド人はほとんどが都市に住んでいるが、白人は都市だけでなく地方で農業に携わっている人もいる。白人農家はコーヒー、チャ、サイザルなどのプランテーション経営をしている。

その他、中国系、パレスチナ系、などの人びとも居住している。
















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