惜別レスラー・宮川賢志 男の散り際



24日の卒業式後、立大の正門前で最後の取材を終えた。左手に持つのは法学部の学位記、 右手に抱えるのは、文武両道の証で学部から1人しか選ばれない「澤木賞」の記念品

  「桜は散り際が美しい」と言われるように、男の散り際も美しいと思う。

   はっきりと覚えている。2017年11月12日。場所は福井の小さな港町、おおい町だった。全日本大学選手権74`級の2回戦。宮川は2分54秒の戦いを終え、感謝を述べるようにゆっくりとマットへ頭を下げた。日体大の阿部に0−10のテクニカルフォール負け。最後の最後の瞬間まで食らいついたが、及ばなかった。だが、現役最後の大会で全国ベスト16。やり切った。
   私は8部を取材するが、たいてい、選手が競技人生を振り返るときには「あっという間でした」と話す。だが、試合後に宮川と話すと予想とは違った答えが返ってきた。
全日本大学選手権の1回戦、長年のライバル・
関学大の茶圓(左)に勝利しベスト16を決めた



「14年間はめっちゃ長かった。特に今年は長かった。忙しかったし、辛かった」。



  順風満帆な道のりではなかった。9歳で始めたレスリング。中学では出る大会全てが1回戦負けで、本当に部活が嫌だった。高校でも、肝心な場面で香川中央高の茶圓にことごとく敗北した。高2の四国大会決勝では、ボールピックアップであと一歩及ばず、希望していた関学大への推薦権を茶圓に譲った。

  翌年、ついに茶圓を破り四国制覇。インターハイベスト16にまで登り詰める。しかし、最後の国体ではまたもライバルに屈し、悔しさを残して立大に入った。

  そこでは、さらなる困難が待ち受けていた。人数が少ない上に、全員にやる気があるわけでも無い。競技と本気で向き合う環境ではなかった。1年の時には全国ベスト16に2回入ったものの、高校の貯金は1年で尽きる。当然、厳しい練習の中で成長していく強豪校の選手を上回ることはできない。
最後の試合には、母・裕恵(右から2番目)
と父・佳典(右)も香川から応援に訪れた

「立教に入って直面したのは、人がいない。思ってたのと違った。自分自身で厳しくすることができなくて、練習相手もいなくて。だんだん勝てなくなった。1部の大学とかはすっごい練習してるんですよ。力の差がでてきて、立教に来たら弱くなるのかなという気もした。楽して、甘えようってなっちゃう。練習行って、2、3人しかおらんし、なんやこれってなる。いや、これじゃだめだっていうのが毎日毎日繰り返しでした。でも、そこであきらめるのはすごい嫌だった」。



  4年になり、主将に就任した宮川に責任感が芽生えた。自分のために、ではなく、チームのために行動する。立教の変革に着手した。

  まずは人数を増やすために、新歓を変えた。徹夜で動画とパンフレットを作り、ホームページでブログの更新もした。さらにOB1人1人に手紙を送り、金銭的な援助を依頼。そこでかけた時間と労力は、初心者の美濃口(理1)の入部につながった。

   練習も変えた。上のレベルを感じるため、毎週のように出稽古に行った。また、強豪校・埼玉栄が母校である横田(法1)の人脈を使い外部の人を受け入れたり、立大レスリング部のOBを積極的に呼び込み、練習は活気づいた。

   就職活動や教職課程で忙しい合間を縫って、これらの変革に取り組んだ結果、最後のリーグ戦では「4年間で1番良かった」という2部準優勝。そして、最後の大会でも、個人でベスト16の成績を残した。

   幼稚園の頃は女の子と遊ぶことが多かったほど弱く、優しい子だった。格闘技好きの父・佳典は、そんな賢志を「強くなったらいいな」と思い、レスリングクラブに入れた。それが、14年後には主将として大学レスリング部をまとめ上げ、体育会本部でも活躍するほど強く、頼もしい男に成長した。

   24日、宮川は卒業式に参加し、立大に別れを告げた。最後にカメラを向けると、正門の桜に負けずとも劣らない満開の笑顔…。ではなく、いつものように、苦手そうに笑顔を作った。もう、この"三分咲きの笑顔"を撮ることは無いのだろうか。やっぱり寂しい。
(3月29日・浅野光青)


◇手記◇

   14年間お疲れ様。楽しませてもらったのでありがとう。たくましく育ってくれてよかったです。大学行くときは寂しかったな。何か月も前から、この18年間、朝起きなよ〜とか、ごはんよ〜とか言うような生活が戻ってこないんだなと思うと、やはりちょっと感慨深くて、いろいろな思いが交錯するというのがありました。当日、送り出した後部屋に戻ると、すごいきちんと整理されてて。それ見た瞬間に泣いてしまった記憶があります笑。

   主将を全うできたのは、やっぱり自分で取り組むということを意識したのが大きかったのかな。中高の監督は高校の教員で、自分でやれ、みたいなところがあったので、そういうのの積み重ねで、大学でも自分で考えて、改革していったりできたのかなと思います。やらされていることで取り組むっていうよりも、自分からやるに変わったのが結果につながったのかな。

   卒業しても、有給とって海外行くとか、練習に行くとか言ってるけど、仕事を舐めてます笑。最初はしんどいと思いますよ。絶対ね。甘い。これからです本当に。
(母・裕恵)



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