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1987年憲法下のフィリピンの公立学校における宗教教育の実態

− 事例調査を中心に −



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     I.はじめに

     II.調査地の概要
      A.学校
      B.宗教

     III.公立学校での宗教教育の実態
      A.宗教教育の開始までの手続き
      B.宗教教育の授業
      C.その他の宗教的活動

     IV.カトリック教会の宗教教育への取り組み
      A.カテキスタの採用
      B.カテキスタの養成
      C.財政

     V.おわりに


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A Case Study of Religious Instruction in Philippine Public Schools under 1987 Constitution

 Based on fieldwork in Central Luzon, this study explores the actual practice of religious instruction in public schools, which is not described in laws. Focuses are put on the annual procedure of school authorities' giving permission for the instruction, the manner of daily class, and other religious activities in public schools.


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はじめに


 フィリピンの公立小学校とハイスクールでは宗教組織による宗教教育が認められている。その具体的な様子を知るための資料がほとんど存在しないため,これまでその実態は,法令の条文などから推測するほかなかった。1)しかし法令のみを資料とするのでは,個人の社会的な行動が人間関係によって規定される傾向のあるフィリピン社会では,制度の実態を把握するには不十分であるとみられる。このことは次の記述に示される。

   近代社会では・・・・例えば行政官としての人の行動は,客観性,公平さ,規則の遵守を含む広く受け容れられた行動様式により決定される。・・・・それは個人とその役割とが分離しているとみなし,またこのことを前提としている。
   こうした客観的なシステムはフィリピン人には無情で冷酷にみえる。・・・・フィリピン人は人とその仕事とを区別しない。・・・・フィリピン人は個人的な義務と要望とがあらゆる人の行動を決定すると考える。行政官は市民に対する対応を,その市民との関係によって決めるものとみなされる。・・・・2)

このため公立学校の教員と宗教教育の担当者の間の人間関係などが,制度のあり方に影響していると考えられる。こうした側面は法令だけを資料としている限り窺い知ることはできない。本論文では1990年に行った事例調査を手がかりに,法令などから推測のできない宗教教育の実態を検討する。3)


II.調査地の概要


 A.学校

 調査地のケソン州カトゥハ市はルソン島中部の農村で,1990年1月には人口34,660人,戸数6,438であった。4)小学校は総て公立で,1990年度には18校に6,437人の生徒が通っていた。市街地にある中央小学校に通う者はその3分の1に満たず,生徒の多くは周辺の集落にある小学校に通っていた。(表1参照)いずれの小学校も第1〜6学年の構成であった。
 フィリピンのハイスールは4年制である。市街地に州立ハイスクールがあり1989年度は生徒数1,772人,教員数63人であった。この州立ハイスクールでは生徒数の増加にともない教室が不足するようになり,1990年度には教室数30に対し学級数は39であった。このため各学級の,体育など教室外での授業の時間や空き時間を調整することで,複数の学級が同一の教室を交互に利用するように時間割が組まれている。1987年発効の現行憲法が公立ハイスクールの無償化を定めたためハイスクール進学者が増加傾向にあることから,今後も教室不足の深刻化が予想される。この他にアリタス,ビヌラサンおよびランガス小学校内で,バランガイ・ハイスクールが開校されている。これは既存の公立小学校の人員や施設の一部を利用して新たな学校建設の財政負担を回避しつつ公立ハイスクールを開校するもので,1990年度にはトンゴヒンでは第3学年が3学級で他の学年は2学級,他の2校では各学年1学級の構成であった。また市街地にカトリック系私立ハイスクールがあり1990年度は生徒数865人,教員数33人であった。
 地方教育行政上,カトゥハの学校はカトゥハ地区にあり,地区の長である視学官がカトゥハの公立小学校を監督する。同地区はケソン第III支区に属し,ハイスクールは支区の長である督学官が監督する。視学官は事務所が中央小学校内にありカトゥハに常駐するのに対し,督学官は事務所が遠方のルセナ市にあり,年に数回程度しかカトゥハを訪れない。
 州立ハイスクールで夜間に2年制コミュニティ・カレッジが開かれており,1990年6-10月期には121人が在籍していた。文学,商業,秘書,初等・中等教育のコースがあるが,秘書コース以外は他の4年制カレッジに移らなければ学位を取得できない。中央小学校内には公立幼稚園があり,次年度に小学校進学予定の5歳児が午前か午後の一方に登園する。1990年度は園児数221人,教員数3人であった。市街地にバプテスト教会系私立幼稚園があり,1990年度は園児数92人,教員数4人であった。またカトゥハには社会福祉・開発省管轄の託児所が17ある。これらの託児所は,ワーカーが13人(1990年7月)しかいないため午前か午後の半日だけ運営されている。

 B.宗教

 カトゥハでは人口の大部分はカトリックである。市と同名のカトゥハ小教区の範囲は市域と一致しているが,1989年の統計によるとそこでの信徒数は人口30,580人の98%以上にあたる30,085人であった。5)司教座聖堂を擁するカトゥハ小教区には主任司祭と助任司祭が常駐する。特に1970年代中頃から,地域ごとに小グループで定期的に聖書研究の会合を行い一般信徒を組織化する基礎共同体の手法が採り入れられ,発展したことで知られる。カトゥハでの宗教教育の主な担い手はノートルダム・ド・ヴa (Notre Dame de Vie: 略称NDV) と呼ばれる女子会のカルメル在俗会である。6)1990年7月現在フィリピン人のNDV会員7人が在住し,私立ハイスクールの運営などの教育活動に従事している。フィリピンの農村では常駐司祭のいない小教区も少なくないことから,司牧や教育活動のために多数の人員がいるカトゥハは宗教教育のための条件に恵まれた小教区とみることができる。
 またカトリックの他に使徒教会(信徒数約700人),バプテスト教会(同約500人),安息日再臨派教会(同約160人)やフィリピンで成立した Church of Christ: New Testament(同約80人),イグレシア・ニ・クリストの教会堂があり,それぞれ司牧者が常駐する。また市街地にエホバの証人の集会所がある。


III.公立学校での宗教教育の実態


 公立学校での宗教教育の制度は1901年に定められたが,1950年代に宗教教育拡大の方向で規定が変更された。その背景にカトリック教会の運動があったこともあり,この時期にはこの制度に関して幅広く議論が展開され,関心が集まった。7)その後約30年間は規定の変更はなされなかったが,現行憲法が宗教教育に関してこれまでと異なる内容を定め,これを補足する教育文化スポーツ省令が発せられた。以下では現行憲法下での規定内容とカトゥハでの宗教教育の実態を照らし合わせる。
 カトゥハではカトリック教会のみが公立学校で宗教教育を行っており8)NDVが担当しているが,実際に公立学校にでかけて宗教教育を行うのは主に一般信徒のカテキスタ9)である。1990年度には市街地から遠い5つの小学校(Cacawayan, Kiborosa, Magsaysay, Miyunod, New Little Baguio)を除く総ての公立学校で宗教教育が行われていた。宗教教育が始まった時期は不明だが,1961年に採用されたカテキスタがおり,中央小学校の校長が1960年代の宗教教育の様子を記憶していたことから,遅くとも1960年代初めには一部の公立学校で宗教教育が行われていたとみられる。


 A.宗教教育の開始までの手続き

  1.文書の作成
 公立学校で宗教教育を行うにあたっては,生徒の両親がこれを希望する旨の文書を作成することが求められる。現行憲法の14章3条3)が「両親・・・・により書面で表明された任意選択により・・・・宗教組織当局が任命・・・・した教授者により宗教が教えられることが許可されること」と定めた。1987年の教育文化スポーツ省令39号も,校長に「子どもが・・・・宗教教育を受けることへの同意を両親が・・・・表明するために用いることのできる適切な書式の準備と配付とを補助する」ことを求め,1990年の省令69号にも同じ文面が記された。10)
 こうした法令が発せられたにもかかわらず,カトゥハではこの文書が作成されないまま宗教教育が行われていた。1990年度にはいずれの公立学校でも,年度の初めの6月初旬にその年度の宗教教育を行う許可を求めてきたカテキスタに対し,校長が口頭で許可する旨を伝えた後,時間割が決定され宗教教育が開始された。中央小学校の校長によると,両親に対しては,2ヶ月ごとのPTA代表の会合で,宗教教育が行われていることを伝えることもあるが,すでにほとんどの両親が承知しているため,その回数は多くないという。1990年7月の会合では宗教教育については伝えられなかった。州立ハイスクールの副校長は,支区内の他のハイスクールの校長との情報交換をもとに,他の多くの地域で文書作成が省略されているという見解を示したが,NDV会員の1人は1976年から1987年まで派遣されナガ市で文書作成に携わったと述べた。
 文書作成が行われなくなった時期は不明だが,トンゴヒン小学校で1955年から1972年まで教員を,さらに1987年まで校長を務めた現在の中央小学校の校長は,1960年代から1970年代の中頃まで両校で文書作成がなされていたと述べており,また1961年から州立ハイスクールで教員をしてきた現在の同校の副校長は同じ1960年代から1970年代の中頃まで同校で文書作成がなされていたと述べた。また1972年にカトゥハに来たNDV会員がその年の文書作成に携わったと述べたが,別なNDV会員は1975年にカトゥハに来た直後から宗教教育を担当したにもかかわらず文書作成に関して記憶していなかった。以上のことからカトゥハで文書作成が行わたのは1970年代前半までであったとみられる。
 州立ハイスクールの副校長は,文書を作成していた時期には,文書の内容を板書して生徒に筆写させて自宅に持ち帰らせ,両親に署名させ回収したと述べた。文書は2部作成し,学校とカテキスタが1部ずつ保管したという。1972年に文書作成に携わったNDV会員は,自分で決めた文面を小学校1年生の両親に書かせ,カテキスタに保管させたという。しかし筆者が訪れた公立学校とNDVの住居には,これらの文書は保管されていなかった。
 文書作成の省略について中央小学校の校長と州立ハイスクールの副校長は,生徒の大部分がカトリックであること,過去に手続きを行った際の経験からほとんどの両親が宗教教育を希望していることが明白であること,宗教の授業時間数が少ないこと,宗教教育は生徒の人格形成に役立ち学校側として歓迎すべきものであることなどから,煩瑣な手続きは必要ないと判断したためであると述べた。視学官も,同様な理由からこれを容認する見解を示した。他の校長も同様な判断をしているとみられるが,その背景にはほとんどの校長が長年カトゥハで公立学校に勤務しており,その間に宗教教育が支障なく行われてきたことを知っていることがあるものと推察される。1990年度に宗教教育が行われていた小学校13校の内9校の校長の経歴を表2にまとめた。
 またディナヒカンとトゥドトゥランの校長は,文書作成が必要であることを知らなかった。これは,この2名が文書作成に関与しなかったか,または過去の勤務校で宗教教育が中断していたか,すでに文書作成が行われなくなっていたためとみられ,他にも文書作成について知らない校長がいる可能性もある。1987年と1990年の省令も,これらの校長には伝えられなかった。マニラから視学官事務所に届いた省令などは,通常は中央小学校での校長の会合などの場で各校長に口頭で伝えられるが,視学官が必要がないと判断した場合には伝えられないこともある。宗教教育に関しては,長年行われており教員も両親も慣れているので規定を詳細に遵守する必要はないと判断されたため,伝えられなかったという。

  2.時間割の決定
 1987年の省令は校長に「正規の授業時間内に宗教の教授を組み込むために,現在の正規の授業時間を調整すること」を求めた。今世紀前半には宗教教育の時間割は督学官が決定したが,1955年の教育省令5号がこの作業の校長への委任を認めた。授業時間数は1901年から1週間に30分を3回以内とされてきたが,1987年の省令では1週間に90分が上限とされた。
 カトゥハでは宗教教育の時間割は主にカテキスタと教員の協議で決められる。決定の方法は,州立ハイスクールとその他の学校の場合とで2通りに分類できる。州立ハイスクールでは複数の学級が同一の教室を交互に利用する時間割を組むため,1人の教員が全校の時間割を編成する。こうした事情から,大部分の学級の時間割に空き時間ができるため,この空き時間に宗教教育が行われる。1990年度は各学級に週1回の授業が行われ,1回の長さは空き時間の長さにより40分から60分であった。この時間に利用可能な教室があれば,そこで宗教教育が行われたが,教室がない場合には,校庭のベンチなどで行われることもあった。このため雨天時には授業ができなかったため,督学官の許可を得て1987年に学校の敷地内に宗教教育専用の教室が建てられた。
 他の大部分の学校では,各学級に教室が1つずつ確保されている。11)小学校第4学年までは担任の教員が1日を通じて1つの学級を教えており,各学級の時間割はこの担任が組む。この時間割は曜日によらず同一である。州立ハイスクールの場合と異なり時間割に空き時間のないこれらの学校では,正規の授業と重なる時間に宗教の授業が割り当てられる。校長から宗教教育の許可を得たカテキスタは,担任1人ひとりと協議して,宗教の授業の時間を決定する。担任が総ての科目を教えるため,正規の時間割の方が調整が容易であり,また人員不足からカテキスタが1日の内に多くの学級を順に教えなければならないという事情を教員や校長が理解しているため,この協議ではカテキスタの側の要望に沿って時間割が決定される。ほとんどの教員がカトリックであり,宗教教育の重要性を認識していることも,カテキスタの要望が優先される理由である。12)またカテキスタが教員や校長と良好な関係を築くことが,時間割の決定に際しカテキスタの要望を優先してもらううえで重要であると,NDV会員は述べた。一部の授業を担任以外の教員が教える第5〜6学年と,科目ごとに異なる教員が教えるバランガイ・ハイスクールでは,主に担任による授業時間に重ねて宗教教育が割り当てられる。1990年度は各学級に週1回,小学校では30分,バランガイ・ハイスクールでは60分の宗教の授業が行われた。規定の上限よりも授業時間が短いのは,教会が財源不足から十分な人数のカテキスタを派遣できないためである。
 こうして決定された宗教教育の時間割を,学校側は完全には把握していない。カテキスタは州立ハイスクールに宗教教育の時間割を報告しておらず,副校長もこれを把握していないと述べた。小学校の時間割は,担任が作成した後,校長と視学官が確認して署名するが,そこにも宗教教育については記載されていなかった。また校長や視学官が督学官事務所に提出する他の報告書のなかにも宗教教育について記載するものはなく,宗教教育が行われていることは書類上は記録されていない。またNDV会員は,督学官が視察に来たときはカテキスタを学校へ行かせないようにしていると述べた。こうしたことから督学官事務所やマニラの教育文化スポーツ省では宗教教育の実態を把握していないものとみられる。中央小学校の校長は,すでに親しい関係にあるカテキスタたちを信頼しており,学級数も多いため時間割の把握は行わないが,担任に対して宗教教育によって何からの支障が生じていないかは確認する予定であると述べた。


 B.宗教教育の授業

  1.教員の授業への関与
 1917年発効の改訂行政法928条は「生徒は教員から・・・・宗教教育に出席する・・・・ことを要求されないこと」と定め,教員に宗教教育に対し中立の立場を求めた。その後は法令での言及がないことから,現行憲法下でもこの方針が維持されていると考えられる。
 筆者は7月19,31日に中央小学校の第1,4〜6学年の9学級,8月2日にトゥドトゥラン小学校の総ての学級,7月20日にビヌラサン・ハイスクールの第1,3,4学年で宗教の授業を観察したが,そこでは上の方針に反し,担任は生徒が宗教教育の時間に退席することを許していなかった。このためイグレシア・ニ・クリストの生徒のなかで両親から申し出があった者の退席が許可された以外は,登校している生徒の全員が宗教の授業に出席していた。宗教の授業の間,教室外に出る担任もいたが,多くの担任は教室内に残り,私語を注意するなどして生徒をカテキスタの授業に集中させようとしていた。また担任の何人かは宗教の授業の開始前に,生徒を着席させ,机の上を片付けさせるなど,授業の用意をさせていた。これらの担任は,生徒の宗教の授業への出退席が自由であることは知っているが,宗教教育が人格形成に重要であること,生徒が何年も宗教教育を受けてきてこれに慣れていること,これまで両親からの苦情などのトラブルもないことから,生徒全員を出席させていると述べた。校長は教員のこうした行動を容認しており,中央小学校の校長はトンゴヒン小学校の校長だったときに,教員に対しカテキスタへの協力を指示するとともに,生徒に出席を奨励する目的で自身も宗教の授業に出席していたという。13)
 州立ハイスクールでは筆者が7月16,17,30日に観察したところでは,小学校のように直接的な出席の奨励が教員によってなされることはなく,学級の全員が宗教の授業に出席することはなかった。これは担任が1日を通じて同じ学級を教える小学校と異なり,宗教の授業の際に担任がその場にいることがまれなことや,宗教の授業が行われる空き時間に生徒は一時帰宅するため,宗教の授業に出席すると帰宅が遅くなること,教室不足から宗教の授業を受けるためには生徒は別な場所へ移動しなければならない場合が多いことなどによるとみられる。一部の学級の出席簿には宗教教育の出欠が記録されていたが,それによると第2学年の在籍51人の学級では7月11日の宗教の授業は欠席者7人(直前の授業は0人)25日は15人(同4人)であり,第3学年の在籍48人の学級では3日は23人(同9人)13日は22人(同9人)24日は25人(同6人)31日は18人(同10人)であった。14)これらの学級を教えるNDV会員は,前者は出席率が高い学級,後者は低い学級であると述べた。また女子の方が出席する割合が高く,また州立ハイスクールでは成績順に学級が編成されているが,成績の良い学級の方が出席率が高い傾向があるという。なおビヌラサン・ハイスクールで7月20日に筆者が観察したところでは,宗教の授業の様子は小学校と同様であった。

 2.正規の授業の補足
 州立ハイスクール以外の公立学校では正規の科目と重なる時間に宗教教育が割り当てられるため,これを補う授業を行う必要があるが,筆者が訪れた先の3校ではこれは行われておらず,宗教の授業時間の分だけ,毎週,正規の授業が削られることになっていた。担任の教員や校長はこれについて,本来,宗教教育の行われた日に,削られた時間だけ正規の授業を延長して行うべきであるが,遠方から徒歩通学する生徒が少なくなく空腹のまま長く学校に引き留められないため授業の延長は難しいと説明し,削られる時間はわずかなため問題はないと述べた。担任がほとんどの科目を教える小学校では,必ずしも時間割に従って授業が行われてはおらず,国語や英語により多くの時間が割かれている。また各学年が1学級ずつのトュドトュウラン小学校では時間割上は学年ごとに授業の終了時間が異なるにもかかわらず,集団下校のために総ての学年の授業がほぼ同じ時刻に終了する。こうしたことから,宗教教育が行われることによって時間割上これと重なっている特定の1科目の時間が削られていると考えるべきではなく,全体の授業時間の一部が削られているとみなす方が適当であるように思われる。なお州立ハイスクールでは時間割の空き時間に宗教教育が割り当てられるため,このように正規の授業時間が削られることはない。

 3.他の宗派の生徒の出席
 イグレシア・ニ・クリストの生徒のなかにはカトリックの宗教教育を受けない者もあるが,これを受ける他宗派の生徒も少なくない。筆者が観察した範囲でも安息日再臨派,バプテスト教会,使徒教会およびイグレシア・ニ・クリストの生徒が出席していた。小学生のなかには担任から強制されたり,学級のほとんど全員が出席するために出席している者もいるとみられるが,筆者がインタビューした校長や教員,カテキスタのなかには,イグレシア・ニ・クリストの両親が子どもにカトリックの宗教教育を受けさせないように願い出たことを除き,両親からの苦情などのトラブルを経験した者はいなかった。この理由は不明だが,カトゥハで行われているカトリックの宗教教育が他宗派の教義の批判や改宗を目的としないためか,両親が宗教教育のことを知らないためではないかと推察される。州立ハイスクールで宗教教育に出席している他宗派の生徒は,いずれも両親の了解を得ており,改宗するつもりはないと述べた。これらの生徒は自分の宗派とカトリックの教義上の共通点や相違点に関心をもっているが,どの宗派も「同じ神を信じている」と考えていた。
 安息日再臨派の牧師は,信仰が確立されていれば他宗派の教義を聞いても混乱することはないという考えから,信徒である生徒にカトリックの宗教教育への出席を禁止しておらず,原則として本人の判断に任せていると述べた。ただし小学校の低学年の場合には,混乱のおそれがあるため,出席させないよう両親に助言するが,これも強制でなく,またこの助言も個人的に行い,教会などで公にこうした考えを述べることはないという。バプテスト教会の牧師は,信徒である生徒は出席すべきでないと考えているが,本人や両親の判断に任せていると述べた。また生徒が出席を強制されているという訴えが本人や両親からあったなら学校へ抗議するが,これまではそうした訴えはないという。イグレシア・ニ・クリストの牧師は,子どもを出席させないうように両親に伝えており,出席の強制が行われているなら学校へ抗議するべきであるが,やはりそうしたケースはないという。Church of Christ: New Testament の説教者は,カトリックとの教義の相違は少なく,また子どもは賢明なのでカトリックの教義を聞いても混乱することはないので,カトリックの宗教教育に出席して神について学ぶことは望ましいと述べた。また中央小学校には使徒教会の,トゥドトゥラン小学校には安息日再臨派の教員がいるが,いずれも担任の学級の生徒に宗教教育への出席を奨励していた。これらの教員は,自分たちの宗派とカトリックが「同じ神を信じている」と考えていると述べた。

 C.その他の宗教的活動

 カトゥハではカトリック教会が市街地の聖堂で毎月第1金曜の午後4時から,州立ハイスクールの生徒のためのミサを行う。州立ハイスクールではこれに合わせ,通常はほとんどの学級で午後5時まで行われる授業をこの日に限り3時で終了し,生徒を下校させる。筆者は8月3日のミサを観察したが,約300人収容の聖堂の外にあふれるほどの人数の生徒が参列し,その大部分は女子であった。州立ハイスクールの教員も21人が参列した。典礼などミサの準備はNDV会員とカテキスタの指導のもとで生徒の有志が行った。ミサで正規の授業時間が削られることについて同校の副校長は,月1回程度であれば問題ないと述べた。またこのミサや,それにともない授業を早く終了させることについては,文書では報告しないが,支区の校長の会合などの場で督学官に口頭で伝えてあり,督学官からは事故を防ぐために教員が同行するように指示されたという。このミサに関して保護者などから苦情が訴えられたことはないという。
 次に,カトリック教会の宗教教育への取り組みの実態をみることにする。


IV.カトリック教会の宗教教育への取り組み


 A.カテキスタの採用

 1990年度のカテキスタの人数は17人で全員が女性であった。州立ハイスクールではNDV会員1名がカテキスタ1名と共に教えていたが,小学校での宗教教育はすべてカテキスタが行っていた。カテキスタの養成や人事などの責任者は,別なNDV会員であった。  信徒のなかからカテキスタを採用する方法は多様である。責任者のNDV会員によると,採用の経緯のなかで比較的多いものに1)他の教会の活動に参加している信徒の中から選んで依頼した場合2)宗教教育を受けていた,州立ハイスクールの卒業生のなかから選んで依頼した場合3)信徒の側からの,カテキスタになりたいという申し出を受諾した場合がある。また採用されても,その後に不適任と判断され,1年で辞職させられた者もあったという。
 1)は,そうした信徒に教会活動への意欲があると考えられるからである。特にII章でふれた聖書研究のリーダーから選ばれて依頼されることが多い。その理由は聖書研究と宗教教育に接点が多いため,カテキスタの仕事に関心をもつ信徒が容易にみつけられることにある。聖書研究のリーダーはセミナーなどの研修に慣れており,後述する養成にも容易に適応でき,またこれらのリーダーは地域の住民によく知られており地域に立地する公立学校の教員や生徒の両親からの信頼を得やすいことも,採用の対象となる理由である。
 小学生を教える場合には,育児経験者が優秀なカテキスタとなることが多く,このことも主婦が多い聖書研究のリーダーからカテキスタが選ばれる理由となっている。男性や独身女性と異なり,進学や就職のために転居することがまれなため,長期にわたり務める者が多いことも,主婦からカテキスタを選ぶことの利点となっている。またカテキスタの責任者であるNDV会員は,聖書研究の責任者を兼任した時期もあったため,そのリーダーのなかからカテキスタとしての資質や時間的余裕のある者を容易に選びだすことができた。
 2)は州立ハイスクールで教えるNDV会員が生徒のなかから資質のある者を見つける場合である。学業成績が優秀でありながら経済的な理由から進学を断念するハイクールの卒業生は少なくない。NDV会員は宗教教育を通じて親しくなった4年生の生徒のなかでカテキスタとしての資質を備えていると判断した者に卒業後の計画を尋ね,こうした事情であったときカテキスタとなるように依頼してきた。
 表3に1990年度にカテキスタを務めていた者のプロフィールをまとめた。採用時に聖書研究のリーダーの経験のあった者の内で, 3と 6は,自分たちが選ばれたのはリーダーの研修でNDV会員の目に止まったためであると考えていた。 1と 5が聖書研究のリーダーのなかから選ばれたことを,NDV会員が記憶していた。 7と11,12は,州立ハイスクールの4年生の時に宗教教育を教えていたNDV会員から依頼され,卒業と同時にカテキスタとなった。 9と10は,自分からNDV会員に申し出て採用された。 4と13,14,15は他の教会活動に参加している時に,別なNDV会員からカテキスタになるように依頼された。

 B.カテキスタの養成

 新年度の直前の5月後半から6月初めにNDV会員によってカテキスタのための3週間の研修が通いで行われる。1990年度は行われなかったが,カテキスタの人数が多かった1985年度は46人,1986年度は27人が参加した。研修の目的は,採用されたばかりのカテキスタを霊的に養成し,教義や聖書の知識を与え,模擬授業などで練習をさせることにある。
 学期中は土曜に会合がもたれ1週間のあいだの各人の授業や学校での出来事が報告され,問題があれば解決策が話し合われる。これはカテキスタ同士が横の繋がりを保つ交流の場でもある。さらに司祭やNDV会員が教義や聖書についての講義を行う。そして教える学年ごとに分科会に分かれ,経験のあるカテキスタを中心に1〜2週間分の授業計画が作成され,全体会で発表される。これによりカトゥハでの宗教教育の内容は総ての学校である程度統一され,また担当のNDV会員が事前に内容を確認できるようになっている。15)
 表3にマニラやタルラック市にある2年制カトリック系カテキスタ養成機関の修了年を記した。ハイスクール卒業者を受け入れるこれらの機関は全寮制なため既婚者は就学できないが,独身の者は全員が隔年に行われる入学試験を受け,合格者が養成を受けてきた。若い独身カテキスタの多くはこの養成を修了している。しかしこの養成修了者よりも,育児経験のある主婦の方がカテキスタとして優秀である場合が多いため,NDV会員はこの養成経験の有無をカテキスタとしての能力の決定的な差とは考えておらず,カトゥハで行ってきた研修の方が重要であると考えていた。

 C.財政

 このように養成機関の修了者と,そうでない者とはカテキスタとしての能力に差がないとみなされているが,教会の制度上は両者の立場には大きな違いがある。修了者は司教から教区(カトゥハを含む14の小教区からなる)で宗教教育を行う者として正式に任命されており,その職務は司教との契約に基づき,教区から給料を支払われる。他の者には正式な任命や契約はなく,支払われる手当ても安定しない。教区から修了者に支払われる金額は,初年度が月額400ペソで,翌年度から26ペソずつ昇給する。これは勤続20余年の州立ハイスクール教員の給料の約3,100 ペソよりはるかに低く,このことが独身で若いカテキスタが長く勤めない主な原因となっている。
 養成を受けていない者に対する待遇はこれよりさらに悪い。1975年からカテキスタを監督してきた,州立ハイスクールで教えるNDV会員によると,養成を受けていないカテキスタは1976年度にはすでに採用していたが,この時期にはこれらのカテキスタには手当ては支払われず,交通費などもカテキスタが負担していたという。このためこの時期に宗教教育を行うことができたのはバヌガオとトンゴヒンのハイスクールと中央小学校だけであった。1978年度に小教区内で集めた寄付金から月額100ペソ程度が支給されるようになってはじめて,現在のように多くの小学校で宗教教育が行われるようになった。その後1985年度からの3年間は西ドイツ(当時)のカトリック系基金から資金援助が得られたため,III章で述べた州立ハイスクール内の教室建設が実現したことに加え,これらのカテキスタの手当てが増額された。この期間には交通費等の経費に加えて初年度は月額200ペソ,2年目以降は400ペソが支払われた。しかしこの資金援助が終了し,前年度で蓄えもなくなったため,1990年度には再びこれらのカテキスタに手当てが支給されなくなった。1990年度の宗教の授業時間が規定の上限よりはるかに短いのはこのためで,1989年度までは小学校で30分の授業が週に2回行われていた。NDVは1990年度に,これらのカテキスタの多くが経済的に余裕のない家庭の主婦であり,長時間の勤務を強いることができないという判断から,手当てがなくてもカテキスタを続けたいと自発的に申し出た者だけに,授業時間数を減らした上で引き続き宗教教育を行うように依頼し,残りの者を休職させた。カトリック教会が1990年度もほとんどの小学校で宗教教育を行うことができたのは,多くのカテキスタが手当てがなくても自発的に宗教教育を行ったためであるが,これらのカテキスタに対し次年度以降に手当てを支払うための財源の目処はたっていなかった。カトゥハのカトリック教会にとり,公立学校での宗教教育の最大の障害は財源不足であり,この障害にもかかわらず宗教教育が継続されてきたのは一部の熱心な信徒の無償奉仕があったためである。


V.おわりに


 カトゥハの事例をもとに,1950年代の規定の変更や論争の内容について若干の考察を加えて結びとする。一地域の事例をもってフィリピン全体の実態とみなすことはできないが,調査結果のなかにはカトゥハ以外の地域にも適用できると考えられる点がいくつかある。
 1950年代の規定変更のなかで,その重要性が看過されてきたと考えられるのが,1955年の省令のなかの,時間割決定の作業を督学官が校長へ委任することを認めた部分である。1987年の省令が,時間割の決定はもっぱら校長が行うことを前提としていることから,近年はこの作業への督学官の関与はまれになっていたと考えられる。この変更の重要な点は,それまで遠方の督学官事務所で行われていた宗教教育のための手続きが,地域社会のなかで行われるようになったことにある。個人的な人間関係により重きがおかれる地域社会では,これにより,宗教教育に関して規定の文面からは読み取ることのできない優遇措置や手続きの円滑化が行われる機会が生じることになったのである。公立学校の校長や教員は大部分がカトリックであり宗教教育を重要と考えており,また長年宗教教育を行うカテキスタと面識があり,場合によっては同じ集落の住人同士として親交もあるため,ルセナ市の督学官では知ることのない,カテキスタの都合や教会の財政・人員上の問題にも理解を示し,時間割をはじめとするカテキスタの要望を尊重する。カテキスタやNDVの側が,校長や教員と良好な関係を築くことの重要性を認識し,これに細心の注意を払っていることが,この傾向を強めているものと考えられる。この結果,カトリック教会が1950年代の論争で訴えていたような,煩瑣な手続きや不都合な時間帯への授業の割り当てが宗教教育の障害となるケースはほとんどなくなったものとみられる。
 近年,カトリック教会が公立学校で宗教教育を行う上での最大の障害は,カトゥハの場合でみられたような財源不足と,それに起因するカテキスタの人員不足であるとみられる。1987年の司教教義会の司牧書簡もこの2点が課題であることを認めた。16)そこには宗教教育が拡大しない原因を行政側の対応にあるとした1950年代のような姿勢はみられない。規定内容や,実際に宗教教育が行われる環境に障害がなくなった今日,宗教教育の拡大を追求するカトリック教会の運動は,かつてのように行政側に対し非難の矛先を向けるのではなく,内に抱える課題の克服に向かうものとみられる。


 注

1) 詳細な記述を含む報告に "Catechism in Philippine Government Schools" World Mission, Vol.14, No.4, 1963-64 がある。
2) Grossholtz, Jean Politics in the Philippines, Boston: Little, Brown and Company, 1964, p.165.
3) 7月15日から8月6日に調査を行った。主要なインタビューを挙げる。America, Francisco R.(district supervisor) Central Elementary School, July 18; Costumbradu, Celia (kinder-teacher of Central Elementary School) Central Elementary School, July 19; Cuerdo, Adella (day-care Worker) Katha Unit Office of Department of Social Welfare and Development, July 30; Flores, Jasper C.(district pastor of Seventh-Day Adventist Church) interviewee's residence, July 21; Huerto, Purificacion P.(register of Community College) Provincial High School, July 17; Lanot, Redro V.(department head of Social Studies of Provincial High School) Provincial High School, July 17; Limpin, Patria G., NDV, NDV residence, July 16/18/31/Aug.3; Masilang, Francis (pastor of Disciples of Christ Church) chapel of the church, Aug.5; Mercado, Carlito (pastor of Bible Baptist Church) Bible Baptist Church, July 29; Morada, Honorata G.(assistant principal of Provincial High School) Provincial High School, July 30; Morfe, Reynaldo Q.(principal of Tudturan Elementary School) Tudturan Elementary School, Aug.2; Moriones, Felicita R.(principal of Central Elementary School) Central Elementary School, July 18/20/Aug.3; Rosas, Nilda, NDV, NDV residence, July 28; Villamor, Noel (preacher of Church of Christ: New Testament) July 29.
4) 詳細は拙稿「フィリピンの基礎共同体の活動」『アジア経済』第31巻第9号,1990年を参照。市名と小教区名は仮名である。
5) 1989 Catholic Directory of the Philippines, Manila: Catholic Bishops' Conference of the Philippines, 1989, p.286. 他宗派の信徒数からみてこの数字は必ずしも正確でないとみられるが,人口の大部分がカトリックであると考えて差し支えない。
6) カトゥハのNDVはフィリピンで最も古く,創設者のフランス人カルメル会師マリー・ユージンが1954年の訪比時に教区司教の要請で設立した。Buhain, Teodoro J."Father Marie-Eugene of the Child of Jesus, OCD" pamphlet, Archdiocese of Manila, 1987.
7) 拙稿「精神的な修養のための宗教教育と政教分離」『カトリック教育研究』第8号, 1991年を参照。
8) 1987年と1989年に再生派教会が州立ハイスクールで宗教教育を行ったが,いずれも2〜3回で中断したという。
9) 正式には司教の任命によりカトリックの宗教教育を行う者を指すが,カトゥハでは任命がないまま宗教教育に従事する者も「カテキスタ」と呼ばれる。本論文では宗教教育を行う総ての信徒を任命の有無にかかわらず「カテキスタ」と呼ぶことにする。
10) 1987年のメモランダム231号も「子どもは・・・・両親の・・・・書面による要請または許可なしに宗教教育の授業に出席することを許可されるべきでない」と定めた。なお1953年の公立学校局回状3号がこの文書を毎年更新する必要はないと定めており,その後は法令での言及がないことから,現行憲法下でも文書の作成が要求されるのは生徒の在学中に1回限りであると考えられる。
11) 筆者が観察した総ての学校で各学級に教室が1つずつ確保されていた。
12) 筆者が中央,ビヌラサンおよびトゥドトゥラン小学校でインタビューした教員および校長のほぼ全員と,カテキスタおよびNDV会員が,このように述べた。
13) 中央小学校の校長は公務が多忙となったため,現在は特に宗教教育に関与していないという。トゥドトゥラン小学校の校長は,宗教教育が重要であるが,ほとんどの生徒がこれに出席しているので,特に自分自身では奨励はしていないという。2人は教員の関与が「強制」ではなく「奨励」であると述べた。両者の区別は困難であるが,州立ハイスクールでの出席率が低いことから小学校でも出席が自発的でない生徒がいるものと推察される。
14) 授業の曜日が一定しないのは,全校の時間割がまだ試行段階だったためである。
15) カテキスタにはマニラ大司教区で用いられている宗教教育のタガログ語版シラバス(Archdioces of Manila, Office for Catechetical Ministry "Catechetical Syllabus for Public Elementary and Private Non-Sectarian Schools in the Archdiocese of Manila" 306pp.) が配付されており,授業計画作成の際に参照されている。なおカテキスタの兼任者が多い聖書研究のリーダーの研修がある第1土曜には会合は行われない。
16) Vidal, Ricardo Cardinal "Religious Instruction in Public Schools" Bolet1n Eclesi stico de Filipinas Vol.LXIV, Nos.702-703, 1987, p.232.


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以上は,『 東京大学教育学部紀要 』 第32号 (1993年3月) のための最終ドラフトにもとづき,ウェッブ上での掲載のために若干の加筆・修正を行ったものです。刊行された論文とは異なるところがあります。 (また,図表はまだ掲載されておりません。 後日掲載する予定です。 しばらくお待ちください)

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