副将・藤田凌司が始まる日
主将・熊谷(コ4=仙台育英)とは、今でも連絡を取りあう仲。そんな友人から、副将の推薦を受けたのは、今から2年前の秋のことだった。「熊谷とはチームについて話すことが何度かあった。仲も良かったし、言われてからはやってやろう!という気持ちになりました」。9歳から始めた野球人生で、初めての副将としての1年間がこうして始まった。 副将・藤田凌司として戦った日々
藤田のリーダーシップ論は、こうだ。大学野球4年間を振り返り、「AチームからDチームまですべてのチームで練習をできたことが副将としての自分の強み。だいたいの投手陣とは練習中にコンタクトを取っていました」。2017年度スローガン「戮力同心(りくりょくどうしん)」の通り、副将として、投手陣を一つにする力が際立っていた。時に後輩からもいじられ、自身の経験は後輩に惜しみなく還元。時を同じくして、下級生投手陣、田中誠(コ2=大阪桐蔭)・手塚(コ2=福島)・中川(コ1=桐光学園)が頭角を現したのは偶然か。昨年公式戦デビューしたほかの投手陣も下級生ばかりで、少なくとも、藤田のリーダーとしての環境づくりが立大投手"陣"としての飛躍を後押ししたことは間違いない。 そして、藤田凌司が選んだ日々
一球一生。藤田に、大事にしている言葉を聞くと、こう返ってきた。どんな展開が待っているか分からないからこそ、これから投げる一球を大切にする。藤田の好きな言葉であり、自身の好きな黄色のグラブにはこの4字が刺繍されている――。私は思う。藤田の人生はまさに「一球一生」。目の前の挑戦、苦難に直球で挑む。これからもまっすぐな生き方で人々を魅了してくれるだろう。 その貫かれた生き方に、私は2年間の学生記者生活で惚れてしまったのかもしれない。 (3月31日 取材・文/川村健裕)
藤田 凌司 Ryoji Fujita
1995年11月30日、岐阜県生まれ。小学3年生の時に野球を始め、県立岐阜商業高校を経て立教大学にアスリート選抜入試で入学。1年秋からリーグ戦登板機会に恵まれ3勝をマーク。4年次には背番号18を背負った。大学卒業後、2018年度からは三菱自動車岡崎に就職。前年に千葉ロッテに入団した左腕の背番号14を引き継ぎ、次は都市対抗の行われる東京ドームでの登板を目指す。 |