秋野ゼミの方針

大学でしか学べないこと

秋野ゼミでは、皆さんにとって「大学でしか学ぶことのできない学びの場」を提供したいと考えています。

「大学でしか学ぶことのできないこと」というのは、経営学部ですので、もちろん経営学という専門分野です。しばしば大学でやるべきことは、旅行やサークルなど、就職した後では、なかなか時間が取れなくてできないことだと考えることもあります。それはそれで貴重な経験を皆さんの人生に与えてくれることと思います。しかし大学で学ぶことを基本と考えれば、まずはそれぞれの専門分野を学ぶことこそが大学でしか学ぶことのできないことでしょう。

またしばしば「大学での勉強は社会に出たら役に立たない」という人もいます。確かに経営学の知識に触れることができたとしても、大学で得た知識はおそらく数年で多くが忘れ去られてしまうことも多いと思います。しかし重要なのは、時間をかけて一つのことをじっくりと考え抜いたことで得られるものだと思います。役に立たなかったという人たちはそこまで深く勉強をした経験がなかった人たちなのだと思います。

少し考えてみればわかりますが、どのような世界でも、時間をかけ、様々な壁にぶつかり、苦しみながら獲得してこそ、その世界で人がどの能力を持つ人として認められてきているのであり、また単にその世界だけではなく、様々な世界ででも役に立つものなのです。もちろん大学で専門分野を学ぶということも全く同じことなのです。

秋野ゼミでは、直接的には「経営学」特に経営戦略論を中心とした専門分野をじっくりと学びます。

当たり前を疑う

それでは、どのように経営学を学べばよいのでしょうか。その方法はいろいろあると思いますが、秋野ゼミではまずは「当たり前を疑う」ところから始めます。

もちろん何が「当たり前」かということを学ばなければなりません。経営学や経営戦略論のテキストをたくさん読むというのは、まさに経営学の「当たり前」「常識」を学ぶことです。

しかしそれだけでは十分ではありません。本を読むことは、それはそれでもちろん勉強です。しかし本を読んで「常識」をいくら覚えても、ここで留まっていたらただ単に誰かが言ったことをコピペして頭に収めているに過ぎません。このコピペの問題は、「なんとなく」「みんなが言っているから」「ネットに載っているから」=正しいのだと考え、思考停止してしまうところにあります。

ですからこの知識を本当に考え抜いて自分の身になったものにしていく必要があります。そのために、ここでもやはりまずはたくさんの関連する文献を読むことが重要です。こうすることで、多面的な見方を学ぶことができ、一つの考え方を絶対視見せず、相対化することができます。いろいろと文献を読むと、「常識」となっている多数の文献と、比較的少数意見の文献があったりします。これらの文献を読むことで当たり前だと思っていた「常識」的考え方も、実は別の角度からみればそうではないということを学ぶことが必要です。

そしてさらに重要なことは、読んだ文献の一行一文が間違いなくそうかを確かめながら読むことです。みんなが言っているから・ネットにあるからといって、正しいとは限らない、ネットや周りの意見の中にはその正誤が確かめられていないものも多数存在するのです。ですから文献を読む際には、その論理やデータなど説得的なものになっているのか、証拠になっているのかを疑問を持ちながら読む・確かめながら読む・「なぜ?」を繰り返しながら読むことが必要なのです。

多面的な見方を理解し、自分の考え方を創り出す

次に秋野ゼミでは、一つの分野、テーマに関連して多様でたくさんの文献を読んでもらいます。

このように多数の文献を読むことで、一つ現象には様々な問題が伏在していることを知ることができます。物事を多面的に見、相対化して見ること、物事には必ず別の見方があるということを経験してもらいます。経営学の教科書的なテキストでさえ、複数並べてみればわかるように、それぞれ内容が異なることはよくあることです。秋野ゼミでも3年間で3冊の異なった経営戦略論のテキストを読み、その違いを学び、なぜその違いが生まれるのかも考えます。

そして論文を作成するにあたっては、この多様な考え方を理解したうえで、ほかの意見と対立しながら自らの考え方を創り出す作業を経験してもらいます。多様な文献を踏まえ、みずから集めたデータや資料を活用して、既存の見解に依拠しあるいは修正し、場合によっては批判することを通じて、自分なりの考え方を作る方法を学び、そして論文という形で表現すること、これが秋野ゼミで学ぶことです。

このようにして得られた知識は、コピペで得た知識とは異なり本当に深く考え抜かれた意見や見解となります。またこのような経験を通じて単に物事を自ら知り、分析していく能力、自らの考え方を創り出す能力が身に着けられるだけでなく、様々な意見や考え方に対してその優劣を評価したり、見破る能力を身に着けることができます。つまり、何が本当に独特でオリジナルな考え方なのか、何がコピペなのか、価値のある情報はどれで、ありきたりのマネされたどこにでもある情報はどれなのか、発言者が本当に自分で考えたものなのか、そうでないのかがわかるようになるのです。

「常識」を学ぶことは重要です。しかしそこに留まっていては。ただのコピペに過ぎません。この「常識」のオリジナルがどこにあり、それがどのように創り出されてきたのか、そこにはどのような問題があるのか、これらのことを学ぶことはものごとを突き詰めて深く学ぶということであり、こうすることで初めて自らの新しい考え方を創り出す方法を体験することができるものと考えています。

もちろんこのような勉強の仕方には時間も労力も必要です。その過程で様々な困難にも直面すると思いますが、しかし新たに自分の考えを創造するには必要なことです。このような時間は、社会に出て日々の仕事に追われる生活の中でではなかなか得られません。まさにこうしたじっくりと専門を学ぶことは大学でしか学べないことなのであり、ゼミナールという場で専門の研究を学ぶことの一つの意義のように思います。

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