復活から50年にあたり

東京六大学射撃競技会は昭和10年代に始動したが、時局を鑑みて数回で中止のやむなきに至り、戦後も久しく再開されなかった。
学生射撃連盟結成50周年を機に再開したことは、復活開催合意書の通りである。再開に至るまでの当時の学生たちの思い、決意を知るべく以下に記す。
昭和49年に法政大学の主将であった齋藤寛は復活開催を提唱し、その活動の主導的役割を果たした。それから50年となるので、次大会から功労者故齋藤寛氏の名を冠する「齋藤寛記念東京六大学射撃競技会」とすることを全校監督の賛同を得て、ここにその盾を作成し、優勝校の持ち回りとする。

令和5年12月17日 明大卒 袴田登喜造 早大卒 香西俊輔 法大卒 奥山裕一

優勝盾

復活第1回東京六大学射撃競技会開催合意書

学生射撃は、大正14年に学生射撃連盟が結成され、爾来我国において学生射撃連盟は、ライフル射撃界の中核を担って現在に至っている。
この長き歴史の中にあって、東京六大学は日本の学生ライフル射撃界の中枢的存在を自負しつつ、ライフル射撃の発展向上を目指し夫々伝統ある各大学の名誉を賭けて、昭和16年に第1回東京六大学対抗射撃競技会を開催するに至った。しかし、第3回大会をもってあの不幸なる戦争の惨禍により中断を余儀なくせられしまま今日に至っている。
以後20余年を経た平和なる現在、この先人の意志を尊重理解し、そして現在過渡期にある学生ライフル射撃界発展隆盛の為に微力ながらでも、貢献することを念願し、加えて、その一翼を担う事を切望し、東京六大学対抗射撃競技会の復活を宣言する。そして、この大会の精神を後々の代まで伝承しつつ、更なる飛躍を期し、日本ライフル射撃界において名誉ある地位の確立を本旨とするものである。
我々法政大学(H)・慶応義塾大学(K)・明治大学(M)・立教大学(R)・東京大学(T)・早稲田大学(W)の、東京六大学は、学生としての認識を新たにし、今後共学生射撃界の中枢的役割を果たして行く事を決意した。そこで東京六大学は学生射撃連盟結成50周年のこの記念すべき時を機会に、昭和16年に第1回東京六大学対抗射撃競技会として開催され、その後戦争の惨禍の為、一時中断せられしまま現在に至ったこの競技会復活に同意するものである。
我々東京六大学は、学生射撃連盟にあって結成以来常にその指導的地位にあった事の義務感・使命感に換起され、又、先人の残した実績を踏襲し、その精神の継承を目的としてこの競技会の復活を企画した。そしてこの競技会の復活が、学生射撃連盟の発展向上の為、一助となる事を切望し、又、今後のライフル射撃界に新分野が拓かれる事を願うものである。加えて我々東京六大学にとって、母校の為に更なる誇り高き名誉獲得を念願とするものであり、その中における各大学交流により大いなる意義を見い出そうとするものである。
依って以上の事により、ここに東京六大学夫々の監督、主将の名において、東京六大学対抗射撃競技会復活第1回大会の昭和49年度開催に合意し、東京六大学射撃競技会復活を宣言するものである。

合意事項

  1. 前文に唱われたる本大会の復活目的、その精神は、次の代へ正しく伝承されるべきものであり、各大学の監督者は自己の責任において大会継承の努力を払うものとする。
  2. 本競技会は、今後5年を目途に昭和53年までには、着実に整備されるものとする。
  3. 本競技会は当面年1回開催として、4月第4日曜日に行なうものとする。
  4. 本競技会開催費用は、各大学は公平なる負担とする。
  5. 本競技会は、各大学当番制の持ち回りにより開催し、順序はアルファベット順とする。
  6. 本競技会の大会々長は当番校総長がこれに当たるものとする。
  7. 本競技会は東京六大学以外のオープン参加は認めない。
  8. 本競技会の競技規則はすべてISUルールに法る事を原則とする。しかし、諸般の事情による若干の変更修正は許されるものとする。
  9. 本競技会規約細目事項は昭和49年度各大学監督・主将の構成による準備委員会を設立し、その委員会により検討決定するものとする。

以上の証拠として東京六大学夫々の代表者、並びに主将はこの合意書に署名した。昭和49年5月6日この合意書を六部作成した。

昭和49年5月6日

◯法政大学
代表 安達喜
主将 齋藤寛
◯慶応義塾大学
代表
主将 柳瀬秀之
◯明治大学
代表 西山榮一
主将 横山博
◯立教大学
代表 柄沢征夫
主将 渡辺正二
◯東京大学
代表
主将 沖沢敏昭
◯早稲田大学
代表 伊藤徳男
主将 香西俊輔

註)昭和16年が第1回とは新聞社の後援を得た年、14年15年も開催し18年に中止。ISUとあるのはInternational Shooting-Sport Federationの旧称。