2000年度 立教大学社会学部 専門演習2 是永ゼミ 報告書

『他者といる技法』をめぐって:メディアの内容分析による実証


目次

はじめに 担当教員より:本報告書について

第一部  Aグループ報告:外国人留学生の報道について
第二部  Bグループ報告:男女間の相互理解



 

本報告書について

 この報告書は、是永が担当する2000年度専門演習2の実習報告書である。

 内容としては、前期に購読したテキスト奥村隆著『他者といる技法』(日本評論社)に展開している、著者の「他者理解」についての考え方と。主に質的なメディアの内容分析を中心とした手法を参考に、ゼミ生自らがメディアのデータを収集し、それを内容分析したものである。

 実施にあたり、こちらとしては次のような指示を行なった。

 Aグループについては、テーマ/内容としてはテキストのものをそのまま引き継ぐが、ここでは数量的な解析が行なわれていないので、より多くのサンプルを収集したうえで、数量的な分析を加え、著者の仮説を実証的に考察する、というものであった。

 Bグループについては、テキストにある「他者理解」という問題意識を引継ぎながらも、テーマを新たに設定した上で、方法的には質的なものでよいが、著者が展開している仮説を具体的なデータに即して検証してみる、というものであった。

 指導上の問題として反省されるのは、まず、利用できるデータの状況を細かく把握していなかったため、最後までデータの収集について問題を抱えることとなった点である。しかしながら、その問題は、現在の日本社会における、雑誌・新聞といった1次資料利用の困難さによるものであると考える。まず、データの所在として、それ自体がどこにあるかが非常に情報がつかみにくく、また、ネット上の手段を利用しようと思っても、無料で利用が可能であるケースが非常に少ない点がある。新聞については、現在はデータベースの利用というものがかなりの部分で可能になっている。しかし、これらはネット上では全て有料であり、本学のメディアライブラリーで利用できるCD-ROMに関しても、利用できる新聞の種類と期間は非常に限られてくる。確かに縮刷版を利用してデータを補えることは可能であるとはいえ、逆にデータベースがあるだけに、データの抽出に関して非常に精度の異なったものを並べて利用することになってしまう。また、特に内容分析の場合、原資料をそのままキープしながら解析することは量的な問題から難しく、何らかの複製をとる必要がある。これが電子化されていない場合、その労力コストが非常に高いものとなる。また、雑誌についてはもっと状況が悪く、本学図書館をはじめとして、公立図書館等で、閲覧は可能でも保管は一定期間に限られるというケースがほとんどであるらしい。個々の所蔵スペースを考えると理解はできる話であるが、恒常的に利用できる場所が結局国会図書館や大宅壮一文庫といった(特に東京にしかないというのも問題である)特定の地理的圏内に限られるとすれば、これは明らかな地理的不平等を生じることを意味する(まして、国外にいるものにとっては)。そしてさらに、電子化ということがほとんどなされていないという状況についても、この世界的な情報環境の進展において大きな疑問を抱かざるを得ない。

 確かに新聞・雑誌は一つの知的財産であり、その所有権を主張し利用に制限を加えることはわかる。しかし、新聞・雑誌とは同時に、当該社会についての時代的な記録資料としての価値をもっていることは疑いがなく、それを利用することを制限することは、結局そうした記録資料に対するアクセスの可能性そのものを制限することを意味する。このことは、単に日本社会に所属するものだけでなく、日本社会について理解をしようとするあらゆる人々に対して、明らかに有力な手がかりを損失させることになり、ひいては媒体自身のもつそうした文化的な価値そのものを損なうことになるであろう。

 また媒体の立場からすれば、いかに国内で一定購買層を獲得したとしても、結局はその文化的な価値をその購買層以外には主張ができないことになる。とすれば、その購買層が何らかの事情で減少を迎えた場合、その文化的な価値もそのままついえてしまうことになるのだ。新聞雑誌が購買自体に意味を持つことはあきらかに短期間であって、それを過ぎればただの「古新聞・古雑誌」として空びんと一緒になってしまうのである。であるならばむしろ、所有権というのはあくまでその購買が有効な期間に発生するものであるとして、その期間を過ぎたものについては購買者以外にも誰にも利用可能な状況におけば(連載エッセイや小説などはまた別として考えてもいいが)、それは将来において購買そのものを喚起する大きなきっかけとなるのではないだろうか。このことは活字媒体に限らず、放送媒体についても全く同様のことがいえるだろう。この急速な電子化の中でその可能性について大きな遅れをとっているという意味では、日本のメディアはそれだけ購買層のタコツボ化を自らすすめているわけであり、昨今の不況を指摘するまでもなく、非常に危機感を抱かざるを得ない。一般利用についてはまだ問題があるとしても、明らかに学術的な目的で行なわれるものについては、一刻も早い文書・映像資料のデータベース化の進展と一定期間後の無料開放を切に望むものである。世界的に見ても、これほど文書・映像資料の公開について等しく(逆にいえば完全閉鎖的な)制限のある国というのも珍しいのではないだろうか。

 日本の場合、メディアの内容について系統的な研究が困難であるのは、理論展開とか学問的関心自体に問題があるからというよりも、例えばCMの研究をするならば、誰しもがビデオデッキ数台とテープの購入と録画の時間と労力を抱え込むことになるわけで、結局こうした1次資料の収集プロセスだけにスポイルされてしまい、一度やればもうこんな面倒なことはごめんだ、となるか、ここまでしてせっかくとったデータを他人に使わせてなるものか、と理由は極めて単純なような気がする。2次データの側面として、社会調査についてはようやくこの状況は改善されつつあるが、こうした1次資料との連携がない以上は、特に内容分析については原資料にあたって検証することが不可能では2次データの意味そのものが失われることになるだろう。

 やや話がそれた感があるが、そうした困難な状況にもめげず、両グループのメンバーともデータの収集に努力したことに惜しみない評価を与えたいと思う。

 また、そのこともあって、あまり分析段階について突っ込んだ指導ができなかったことも同時にもう一つの反省点として、指摘しておきたい。このことについては、実習を行なうにあたって、データ状況等をあらかじめ把握した上で、分析の進行段階をより詳細にプログラム化していくということが必要であるだろう。教員においても確固たるノウハウが少ないとはいえ、自覚的に分析視点を作り上げていかないとうまくいかないのが内容分析の重要な点であろう。この点に関して、TAの山本さんとオブザーバー参加の指田君にとって非常に指導がしにくい状況を与えてしまったものとしても深く反省したいと思う。

 最後にあらためて、ゼミ参加メンバーの苦労と、山本さん・指田君のご指導に敬意を表しつつ、感謝を申し上げたいと思います。

以上



2001/3/8

担当指導 社会学部講師 是永論

 ※本報告書は、印刷文書としては発行しておりません。かような状況に対して、広く公開を主張したいという趣旨と、実験料を分析プログラム等の購入に充当したためです。